レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年02月01日
- 登録日時
- 2011/11/26 12:48
- 更新日時
- 2012/02/01 16:09
- 管理番号
- 市川20110201-02
- 質問
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解決
永井荷風が参加していた「木曜会」という句会の詳細や参加者について知りたい。
- 回答
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「荷風」「木曜会」というキーワードで所蔵検索を行ったところ『国文学 解釈と教材の研究1979年9月号』(学橙社 1979)掲載の論文「永井荷風の木曜会入会時期考証覚え書」(松田良一/著)を所蔵。この論文から木曜会とは、巌谷小波が主催する文学サロンであったこと、小波は日記に明治29 年の木曜会初会合から、流会の記事まで克明に記録していることが判明。
この検索では、他にも『文藝 臨時増刊号』(河出書房 1956)がヒット。同誌には「木曜會と荷風先生」(巌谷眞一/著)(106ページ)という小波の長男による寄稿が収録されていた。
次に、「小波日記」というキーワードで所蔵検索をしたところ『明治文学全集 第20巻 川上眉山・巌谷小波集』(筑摩書房 1977)が該当。「小波日記」の該当部分そのものは収録されていなかったが、「小波日記と木曜会」(伊狩章/著)(380ページ-385ページ)として、木曜会の活動、出席者などが「小波日記」から引用され解説されていた。
また『考証 永井荷風』(秋葉太郎/著)(岩波書店 2010)の巻末人名索引より「巌谷小波」を調べたところ「その十四 明治三十二-三十三年(1899-1900)二十一-二十二歳」の項目に「木曜会は小波を中心に久米島武彦、押川春浪、黒田湖山、生田葵山、西村渚山ら二十人近い人々によって明治二十九年三月以来開かれて来った文芸の研究会であった」(上巻の93ページ)との記述もあった。
その後、『荷風全集 第1巻』(岩波書店 1963)の月報に「荷風先生と木曜会」という巌谷小波の書生であった山内秋生の記述があるという情報が寄せられた。この月報には、「一時は会員数が三十余名に及んだ」という記載がある。木曜会の起こりについては「巌谷小波 著『我が五十年』・大正9年東亜堂刊に詳しい」と記載があり、市川では、改題にあたる『<おとぎばなし>をつくった巌谷小波 我が五十年』(巌谷小波/著 ゆまに書房 1998)を所蔵している。また、「木曜会員の文学活動および当時の荷風先生の事は、伊狩章 著『後期硯友社文学の研究』昭和32年・矢島書店刊に詳しい」とある。(国立国会図書館所蔵)
追加調査として、国立国会図書館の雑誌記事索引で「木曜会 小波」で検索したところ、「巌谷小波の日記と木曜会の文学活動」(伊狩章/著)という論文が『国語と国文学 昭和30年7月号』に掲載されていることがわかった。内容は、昭和28、29年度文部省研究助成金による研究「後期硯友社派作家の研究」の一部であった。『明治文学全集 第20巻 川上眉山/巌谷小波集』(筑摩書房 1977)内の「小波日記と木曜会」(伊狩章/著)と概ね同じ論旨であるが、木曜会の出席者は50数名あり、一度限りの来会もあるが、少なくとも30名前後の会員があったことや、主要な人々が年代順に記述されている。
ほかに、千葉県立中央図書館より情報提供があり、『永井荷風 ミューズの使徒』(松田良一/著 勉誠社 1995)にも荷風と木曜会の記載があるとのことだった。所蔵資料を確認すると、「木曜会と雑誌『饒舌』」(206ページ)、「永井荷風の木曜会入会時期考証覚え書」(225ページ)の掲載があった。
また「小波日記」については、『白百合女子大学児童文化研究センター研究論文集』(白百合女子大学児童文化研究センター 4号~継続刊行中)に翻刻掲載中であり、千葉県立中央図書館で所蔵。
上記の情報に基づき、当館でも『後期硯友社文学の研究』を永井荷風特別コレクションの蔵書に加えた。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (910 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 木曜会
- 永井荷風
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000097176