レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/07/31
- 登録日時
- 2011/10/28 02:06
- 更新日時
- 2013/02/18 00:30
- 管理番号
- 滋2011-0598
- 質問
-
解決
野洲市の兵主(ひょうず)神社の概要を知りたい。
- 回答
-
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「野洲郡中主町大字五条に所在。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)。延喜式名神大社。この社名は、延喜式内社中もっとも多く17社をかぞえるが、兵主神は『史記封禅書』にみえる武神として上代から中国で信仰されていた。日本各地の兵主神社は日本にわたった漢人が奉じた神社ともかんがえられている。創祀は社伝によると、元来兵主(つわものぬし)大神は景行天皇の信仰するところであり、高穴穂宮(たかあのほのみや)(滋賀郡穴太)遷都にともない穴太に社地がもうけられ、のち欽明天皇の時代に琵琶湖をわたって現在の地に遷座、718年(養老2)に社殿が造営されたとつたえる。社格は862年(貞観4)以前は従五位下であったが、874年(貞観16)には従三位、1180年(治承4)には正一位があたえられている。中世には武神として武家の崇敬をうけ、1186年(文治2)には源頼朝が本殿・末社を修造、3000余石分の神領(兵主郡)を寄進、足利尊氏も社殿修造、神領安堵(あんど)を行ったといわれる。また法華経守護の三十番神の一にかぞえられた。しかし織田信長による佐々木氏攻略のさいに、旧来の社殿はすべて没収され、1649年(慶安2)にいたってようやく9石5斗余の朱印地があたえられた。1915年(大正4)県社となる。境内の庭園は中世の庭園として国の名勝に、金銅種子華鬘(しゅじけまん)・刺繍三昧耶幡(ししゅうさんまいやばん)など多数の重要文化財を所蔵。(大谷安彦)」とあります。なお、野洲郡中主町大字五条は現在野洲市五条に、滋賀郡穴太も大津市穴太になっています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 神社.神職 (175 8版)
- 参考資料
-
- 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.610
-
2 式内社調査報告 12 式内社研究会∥編 皇学館大学出版部 1981年 S-1700- 81 -
3 社寺要覧 三宅辨造∥編 滋賀県 1923年 S-1600- 23 -
4 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.426-427 -
5 湖国百選 社寺 滋賀総合研究所∥編集 滋賀県 1993年 S-1600- 93 p.31 -
6 式内社の研究 第7巻 志賀剛∥著 雄山閣 1984年 S-1700- 84 -
7 滋賀県神社誌 滋賀県神社庁∥編 滋賀県神社誌編纂委員会 1987年 S-1700- 87 p.236-237 -
8 全国神社名鑑 下 三浦譲∥編 全国神社名鑑刊行会史学センタ- 1977年 RB-1703-ミ -
9 日本社寺大観 神社篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1759-フ -
10 神社名鑑 神社本庁調査部 神社本庁 1963年 R-1759-シ -
11 神社辞典 白井 永二∥編 東京堂出版 1979年 R-1759-シ
- キーワード
-
- 兵主神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000094534