レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/07/31
- 登録日時
- 2011/10/28 02:04
- 更新日時
- 2013/02/18 00:30
- 管理番号
- 滋2011-0624
- 質問
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解決
大津市の延暦寺(えんりゃくじ)の概要を知りたい。
- 回答
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『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市坂本本町にある天台宗の総本山。山号は比叡山。(中略)東塔(とうとう)5谷、西塔(さいとう)5谷、横川(よかわ)6谷の三つの群にわかれ、山下には天台宗務庁や叡山学院、叡山文庫をはじめ、多くの院坊がある。785年(延暦4)に最澄(伝教大師)が草庵をつくり、3年ののちに小堂に薬師如来像をまつって一乗止観院と名づけたのが、延暦寺のはじまりである。その後比叡山寺とよばれていたが、822年(弘仁13)、最澄の死後「大乗戒檀」の勅許があり、その翌年に寺号をたまわり、延暦寺と称した。その後、第3代天台座主円仁(慈覚大師)が横川をひらき(829年)、第5代座主円珍(智證大師)は大津の長等山下の園城寺に866年(貞観8)、天台別院をひらいた。円珍の死後、その弟子と円仁の弟子との対立がおこり、延暦寺の山門派にたいして、園城寺は寺門派とよばれ、山門と寺門の対立抗争が数世代のわたってつづけられた。一般に叡山3000坊といわれる3塔16谷の堂塔や院坊が整備されるのは、10世紀の後半、中興の祖といわれた第18代座主良源(元三大師)のときである。1571年(元亀2)織田信長によって、山下の日吉大社とともにほとんどの堂塔坊社がやかれ、のち豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光によって再興された。(後略)(石川正知)」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 8版)
- 参考資料
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- 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.77
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2 湖国百選 社寺 滋賀総合研究所∥編集 滋賀県 1993年 S-1600- 93 p.18 -
3 図説近江古寺紀行 木村至宏∥著 河出書房新社 1995年 5-1800- 95 -
4 近江路の古寺を歩く 大石真人∥著 山と渓谷社 1997年 S-1800- 97 -
5 社寺要覧 三宅辨造∥編 滋賀県 1923年 S-1600- 23 -
6 古寺巡礼京都 12 梅原猛∥監修 半田孝淳∥著 淡交社 2007年 S-1811- 07 -
7 全国寺院大鑑 下巻 全国寺院大鑑編纂委員会∥編集 法蔵館 1991年 R-1850-セ -
8 日本社寺大観 寺院篇 藤本 弘三郎∥編 名著刊行会 1970年 R-1859-フ -
9 日本名刹大事典 圭室文雄∥編 雄山閣出版 1992年 R-1859-タ
- キーワード
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- 延暦寺
- 比叡山寺
- 最澄
- 円仁
- 円珍
- 良源
- 一乗止観院
- 天台宗
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000094343