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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000091835
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼久-2011-034
事例作成日
(Creation date)
2011年06月14日登録日時
(Registration date)
2011年09月29日 11時01分更新日時
(Last update)
2013年10月30日 12時26分
質問
(Question)
甲斐源氏の祖新羅三郎義光以降、和光氏始祖である宮内少輔和光信賢につながる系図を探している。
回答
(Answer)
当館資料の調査では、甲斐源氏の祖新羅三郎義光以降、和光氏始祖である宮内少輔和光信賢につながる系図は見つからなかった。(追記参照)
大半の資料は、〈武田信満〉と〈信賢〉を親子としている。
また、信賢と和光氏についての関係について記述のある資料も見つからなかった。
〈信満〉に関しては、〈満信〉と表記することもあったようである。

  
(2013/10/19追記)
県外個人の方の情報提供により、以下の資料に「和光家系図」の所蔵についての情報があることがわかった。
『富士吉田市史資料所在目録13』(富士吉田市史編さん室編 富士吉田市教育委員会 1988)
p30和光秀徳家文書No.17「軸物」(摘要「和光家系図」 条箱に収納)
p8和光秀徳家文書の解説に、「先祖は武田信玄・勝頼二代に仕えたという。源氏の流れをくむ宮内少輔信賢が和光姓を名のったことから始まり」とある。
(2013/10/29 備考欄に追記あり。)
回答プロセス
(Answering process)
1 「信満」を「満信」とも表記をするとの記述があった資料
『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編集 山梨日日新聞社 1989)
p584〈武田信満〉の項によると、「武田家13世の主。満信にも作る。」とあり。

2 系図資料について
『寛政重修諸家譜 1』(続群書類従完成会 1983)
p15「義光 新羅三郎 甲斐守 従五位下」と記述あり。
p16-17「義光流」の系図に義光以降、信義(武田諸流の祖であり、「満信の子信義」とは別人)までの系図あり。

『寛政重修諸家譜 索引1~4』(続群書類従完成会 1989)
本書索引のうち、氏姓(家名)、諱、官職別呼称、国名呼称索引で、〈満信または信満〉〈信義〉〈信賢〉〈安芸守〉〈右馬助〉〈宮内少輔〉で確認したが、信満-信義-信賢の関係が確認できる系図は見あたらず。
また、氏姓索引で「和光」はない。

『寛政重修諸家譜 3』(続群書類従完成会 1984)
p146-甲斐武田氏の系図が掲載あり。武田信義(武田諸流の祖であり、「満信の子信義」とは別人)以降の系図。
p149「信満 二郎 安芸守(後略)」-「信賢 宮内大輔 巨勢村と号す。」
信満の息子に「信義」はなく信賢であること、本書の「信賢」は「宮内少輔」ではなく「宮内大輔」である。
また、同頁上部には「満信 五郎 兵庫頭」の名が見られるが、別人と思われる。
 
『姓氏家系大辞典 2』(太田亮著 角川書店 1981)
p3401-3402に新羅義光以降の系図あり。
p3403 「甲州の武田系図」あり。
p3405には(十八代)武田安藝守信満の名があり、その息子として「小瀬宮内少輔信賢、系図纂に信堅とあり。巨勢村組。」と信賢の名があり。信満の息子に「信義」はなく信賢が息子となっている。また、信賢の子孫については記述なし。
(「巨勢村」の村名が出てきたので、本書を「巨勢」から調査したところ、以下の記述あり)
p2310-2314「巨勢」の項の「14 清和源氏武田氏流」によると、「中興系図に「巨勢、清和、武田安芸守信満の男、信賢・これを称す。モン四花輪違。巨勢村とも」と見ゆ。」
との記述あり。
 なお、『姓氏家系大辞典 1 ア~カ』p953-954「小瀬」の項の「2 清和源氏武田氏流」によると、「甲斐國西山梨郡山城村小瀬より起る。武田満信の男小瀬宮内大輔信堅の後也。武田系図に「信賢(巨勢村宮内大輔)」ともあるによりコセと読むべし。」との記述あり。

『系図纂要 11 上 清和源氏』(岩澤愿彦監修 名著出版 1993)
p235に、義光から信義(武田諸流の祖であり、「満信の子信義」とは別人)につながる大まかな系図あり。

『系図纂要 11 下 清和源氏』(岩澤愿彦監修 名著出版 1994)
p339 〈源朝臣 武田〉信義(「満信の子信義」ではない方の)から続く系図あり。
p373に「信賢」あり。「巨勢村宮内大輔 延徳元年七ノ十二死 師阿」
「信満」と「信賢」は親子。子孫については記述なし。

『系図纂要 別冊1 補遺 姓氏索引 没年一覧』(名著出版 1997)
索引に「和光氏」なし。

『山梨県史 資料編6下 中世』(山梨県編 2007)
p718「第三編 系図」に「一八一 「武田源氏一統系図」武田源氏一流系図」あり。
清和天皇から始まり、義光-満信-信賢とつながる。信満と信賢の間に「信義」はない。「号巨勢村宮内太輔 信賢」とあり。以降は空白である。
p736 「一八二「武田源氏一流系図」」
新羅三郎義光からつながる系図。信満と信賢は親子。「巨勢村宮内太輔信賢子孫有」の記述あり。

『続群書類従 5 下 系図部』(塙保己一編 続群書類従完成会 1977)
p1 巻百二十一に「武田系図」あり。清和天皇から始まる系図。
p13-14に、「信満 次郎 安藝守」-「信賢 巨勢村 宮内大輔」の名があり。
信満と信賢は親子。
p24 巻百二十二に「武田系図」あり。武田信光から始まる系図。
p26に、「信満 次郎 安藝守」-「信賢 宮内少輔 号巨勢村」の名があり。
信満と信賢は親子。
p44 巻百二十三「両武田系図」あり。武田信義(「満信の子信義」ではない)から始まる系図。
p50-51に、「信満」-「信賢 号巨勢村宮内大輔未(末カ)在」の名があり。
信満と信賢は親子。

『大日本史料 7-27 称光天皇』(東京大学史料編纂所編纂 東京大学 1995)
p15-16「武田系図 森源太郎蔵本」
信春-信満「武田太郎、安芸守、甲斐守、従五位下、或満信」-「信賢 巨勢宮内少輔」
義光から続かないが、「満信」の記述あり。信賢は、信満の息子となっている。他にも、上記『続群書類従』などからの抜粋の系図あり。

3 「信賢」を「信満」の子どもとした資料
『姓氏家系辞書』(太田亮著 人物往来社 1968)
p600〈巨勢村史〉の項に、「甲斐 清和源氏、武田氏族 武田系図に信満の子信賢、巨勢村宮内大輔と註す。」との記述あり。

4 「信賢」の子孫について記述のあった資料
『日本歴史地名大系 19 山梨県の地名』(平凡社 1995)
p381-382〈小瀬村〉の項によると、「「一本武田系図」などには甲斐守守護武田信重の弟に巨勢村宮内大輔信賢がみえ、(中略)その孫とされる巨勢民部少輔信乗(中略)(甲斐国志)」とあり。

『大日本地誌大系 46 甲斐国志 3』(雄山閣 1982)
p55〈諏訪明神〉の項、「宝徳中ヨリ巨勢宮内大輔信堅ノ居館ト為ル其ノ孫民部少輔信乗・・・」この後に、「巨勢氏断絶ノ後(後略)」とあり。
巨勢氏は断絶されたのかは不明。

『武田氏年表 信虎・信玄・勝頼』(武田氏研究会編 高志書院 2010)
p246 供養帳・過去帳による没年月日一覧あり。
巨勢村宮内太輔 没年・戒名があり、一蓮寺過去帳によるもの(一蓮寺過去帳は活字になっていないようである)。

5 和光氏について記述があった資料・情報
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 19 山梨県』(竹内理三〔ほか〕編纂 角川書店 1989)
p324-326「武田」の項には、「第十三代安芸守満信」または「信満」、「信賢」の記述はなし。
p464「和光」の項あり。「『山梨鑑』には南都留郡福地村(富士吉田市)の農蚕業和光作兵衛が載る。」とあり。系図の掲載はない。

その他調査済み資料
『山梨県史 通史編 2 中世』(山梨県編 2007)
13代信満の記述はあるが、系図(資料編にあり)及び三男信賢についての記述はない。
『穴山武田氏 中世武士選書 5』(戎光祥出版 2011)
『甲斐武田氏 上・中・下』(なかざわしんきち著 甲斐史学会 1965)
『断家譜 1~3』(斎木一馬校訂 岩沢愿彦校訂 続群書類従完成会 1981)
『日本人名大事典 6 マテ~ワ』(平凡社 1986)
『国史大辞典 9、14 たか~て』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1988)
『日本史大事典 4、6 す~て』(平凡社 1993)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
系譜.家史.皇室  (288 9版)
参考資料
(Reference materials)
『寛政重修諸家譜 1・3』(続群書類従完成会 1983~1984)
『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編集 山梨日日新聞社 1989)
『姓氏家系大辞典 2』(太田亮著 角川書店 1981)
『系図纂要 11 上・下 清和源氏』(岩澤愿彦監修 名著出版 1993)
『山梨県史 資料編6下 中世』(山梨県編 2007)
『続群書類従 5 下 系図部』(塙保己一編 続群書類従完成会 1977)
『大日本史料 7-27 称光天皇』(東京大学史料編纂所編纂 東京大学 1995)
『姓氏家系辞書』(太田亮著 人物往来社 1968)
『日本歴史地名大系 19 山梨県の地名』(平凡社 1995)
『大日本地誌大系 46 甲斐国志 3』(雄山閣 1982)
『武田氏年表 信虎・信玄・勝頼』(武田氏研究会編 高志書院 2010)
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 19 山梨県』(竹内理三〔ほか〕編纂 角川書店 1989)
キーワード
(Keywords)
和光 信賢(ワコウ ノブカタ)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
(2013/10/29追記)
県外個人の方の追加情報提供あり。
1「富士吉田市市史民俗調査報告書 7 松山の民俗」(富士吉田市 1988)p123 和光イッケ 伊豆那権現、p124肝煎作兵衛あり。
2「北富士すそのものがたり 1」(岩佐忠雄編著 富士吉田史友会 1976)p326,466に肝煎作兵衛あり。
埼玉県立文書館所蔵の1を確認したところp123-124 伊豆那権現(和光イッケ)の奉納銅板に肝煎作兵衛の名前と「和光由緒宮内少輔信賢和光ノ姓ヲ授ケラル」とあり。
2は県内未所蔵のため未確認。
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000091835解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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