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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000089331
提供館
(Library)
名古屋市鶴舞中央図書館 (2210001)管理番号
(Control number)
名古屋市鶴-2011-013
事例作成日
(Creation date)
2011年06月30日登録日時
(Registration date)
2011年07月29日 08時39分更新日時
(Last update)
2011年09月08日 13時50分
質問
(Question)
江戸時代の街道図で有松村の一里塚が描かれているものを探している。できれば植えてある木の本数までわかるものが見たい。
回答
(Answer)
作者遠近道印・絵師菱川師宣による元禄3年(1690)の「東海道分間絵図」に有松村の一里塚と植えてある木の種類や本数を示す文字(“松数々”と“松一 榎一”)が描かれています。ただし、安政6年(1859)頃の「東海道宿村大概帳」(『近世交通史料集 第4巻』所収)では有松村の一里塚の木は「榎」とされており、木の種類と本数は時期によって異なると思われます。この他にも街道絵図・村絵図・名所図会などで有松村の一里塚を描いたものがいくつかあり、木の種類を描きわけていると思われるものもありますが、木の種類や本数を示す文字がないためはっきりとはわかりません。
回答プロセス
(Answering process)
(1)質問者によると「東海道綱目分間之図」や「東海道宿村大概帳」にお探しのものがあるらしいとのことでした。当館のOPACにより「東海道宿村大概帳」については『近世交通史料集 第4巻』に収録されていることがすぐにわかりました。

・「東海道宿村大概帳」(『近世交通史料集 第4巻』所収)→知鯉鮒宿から鳴海宿までの間に一里塚が3箇所あり、そのうち1つが“左右之塚共有松村地内”にあって木の種類が「榎」であることがわかりますが本数についてはわかりません。

(2)当館OPACで「東海道綱目分間之図」と検索しても該当する資料がみつかりませんでしたが、「東海道 and 絵図」で検索してみるといくつか資料がありました。なお、「東海道綱目分間之図」は作者遠近道印・絵師菱川師宣による「東海道分間絵図」の内題であることがわかりました。

・『東海道名所記 (叢書江戸文庫50)』→作者遠近道印・絵師菱川師宣による「東海道分間絵図」の初版本(参歳版)の影印と翻刻があり、有松村の一里塚の木の種類と本数が書かれています。
・『元禄三年東海道分間絵図 復刻 (東海道絵図集成2)』→作者遠近道印・絵師菱川師宣による「東海道分間絵図」の初版本(参歳版)の影印があります。
・『東海道名所記・東海道分間繪圖 (覆刻日本古典全集)』→作者遠近道印・絵師菱川師宣による「東海道分間絵図」の参年版の影印があります。
・『東海道絵図2 復刻 (東海道絵図集成1)』→“一里塚”の文字と一里塚らしきものが描かれています。
・『東海道分間延絵図』→“一里塚”の文字と一里塚らしきものが描かれています。

(3)郷土資料コーナーで「交通」関係の資料を調べてみると、一里塚に植えられた木は「松」か「榎」であることがわかりました。

・『東海道 歴史散歩』→“塚の上には初め松を多く植えたが、松並木と紛らわしいので、その後(中略)一里塚には榎が植えられるのが通例であった”とあります。なお、一里塚に榎が植えられるようになった由来が「雨窓閑話」(『日本随筆大成 第1期第7』所収)に書かれていることも紹介されていました。

(4)郷土資料コーナーで「名古屋市緑区」関係の資料を調べてみると、村絵図にも一里塚が描かれていました。また、一里塚の場所といつ頃まであったかについてわかりました。

・『天保の村絵図緑区域解読版』→天保12年(1841)の有松村の絵図に“一里塚”の文字があり、一里塚が描かれています。
・『[名古屋市]緑区誌 区制20周年記念』→“尾張藩は、慶長9年2月東海道の修理を行い、36町を1里と定め、道の両側に1里毎に一里塚を築き、松並木を植えた。一里塚は方5間(約9.1m)の塚で、上に松並木に目だつため榎を植えた。鳴海町字鎌研4・5番地の両側に完全な榎の植った一里塚があったが、大正13年払い下げられ民地となりなくなった。”とあります。
・『新修名古屋市史 第9巻 民俗編』→“町の西の外れ、鎌研橋の東に昭和初年まで一里塚があった”とあります。

(5)「有松」関係の資料を調べてみると、下記のことがわかりました。
・『有松・鳴海絞 (東海叢書20)』→掲載されている写真からははっきりとはわかりませんが、「鳴海名所八景和歌、織田今川古戦場図」や「有松古絵図」にも一里塚が描かれているようです。なお、“安政2年(1855)の初代広重の五十三次名所図会で絞りの風景を画いている左側の松の付近は一里塚を画いたものであるという説もある”そうです。
・『図説日本の町並み 第6巻 東海編』→“慶応元年(1865)の将軍家茂の上洛に際し、有松の宿泊可能な建物を調べた「御進発之節御成方々御泊可相成家取調図面」”の影印があり、一里塚も描かれています。
・『有松志ぼり』→「御進発ニ付御休方々御泊ノ相成家並調」の翻刻があり、一里塚も描かれています。なお、「有松絞業者の分布図(幕末~明治期)」では街道の南側には“一里塚”の文字がありますが、向かい合う北側には“人力馬車 丁場”とあります。
・『小治田之真清水 巻之3』→「鳴海辺惣図」に“カマトギバシ”の文字と一里塚らしきものが描かれています。
・『尾張名所図会 前編6』→「文章嶺」の図に“カマトギバシ”の文字があり一里塚らしきものも描かれていますが、他と異なり鎌研橋の西側に描かれています。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
交通史.事情  (682 9版)
参考資料
(Reference materials)
『近世交通史料集 第4巻』 児玉幸多/校訂 吉川弘文館 1970年 p.708
『東海道名所記 (叢書江戸文庫50)』 [浅井了意/作] 国書刊行会 2002年 p.335-336,411-416
『元禄三年東海道分間絵図 (東海道絵図集成2)』 遠近道印/作 昭和礼文社 2001年 p.68
『東海道名所記・東海道分間繪圖 (覆刻日本古典全集)』 正宗敦夫/編纂校訂 現代思潮社 1978年 p.183
『東海道分間延繪圖 第15巻』 東京美術 1983年
『東海道絵図2 (東海道絵図集成1)』 木下良/監修 昭和礼文社 2000年 p.130
『東海道 歴史散歩』 日下英之/編 東海道研究会 1988年 p.209
『日本随筆大成 第1期第7』 吉川弘文館 1975年 p.78-79
『天保の村絵図緑区域解読版』 山口輝雄 2006年 p.30-33
『[名古屋市]緑区誌 区制20周年記念』 緑区区制20周年記念区誌編纂委員会/編 名古屋市緑区役所 1983年 p.21
『新修名古屋市史 第9巻 民俗編』 新修名古屋市史編集委員会/編集 名古屋市 2001年 p.61
『有松・鳴海絞 (東海叢書20)』 堀江勤之助/著 名古屋鉄道 1978年 p.76-77,93-95
『図説日本の町並み 第6巻 東海編』 第一法規出版 1982年 p.58
『有松志ぼり』 有松絞技術保存振興会有松しぼり編集委員会/編集 有松絞技術保存振興会 1972年 p.42,219
『小治田之真清水 巻之3 影印版』 [岡田啓/編] 吉田悟郎(印刷) 2008年 p.86
『尾張名所図会 前編6 復刻』 岡田啓/著 ブックショップ「マイタウン」 1997年 p.6-7
キーワード
(Keywords)
交通―名古屋市
地図・絵図―名古屋市
一里塚
有松村
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000089331解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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