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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000088383
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼久-2011-010
事例作成日
(Creation date)
2011/02/01登録日時
(Registration date)
2011年07月12日 02時02分更新日時
(Last update)
2011年07月26日 13時52分
質問
(Question)
1 一里塚、2 名主制度、3 問屋(場)、4 高札、5 本陣の開始(はじまり)と廃止(終わり)の年について知りたい。
回答
(Answer)
1 一里塚の開始年、廃止年いずれも記述は見つからず。
『国史大辞典 1』(吉川弘文館 1979)
p662-663に「一里塚」の項目あり。
「制度として確立したのは徳川氏に至ってからである。徳川家康は秀忠に命じて、慶長9年(1604)江戸日本橋を起点として東海道・東山道・北陸道に榎を植えた一里塚を築かせ全国に普及させた。」
「十八世紀後半ごろからは一里塚も荒廃してきたが、幕府が積極的な対策をとった様子はみられない。明治以後、鉄道の発達とともに一里塚の必要も次第に失われ、現在では地方公共団体や、史跡保存会などによってわずかに維持保存されているにすぎない。」とあり。
 
『日本史大事典 1』(平凡社 1992)
p499に「一里塚」の項目あり。『国史大辞典 1』と同様の記述あり。
『ブリタニカ国際大百科事典』(TBSブリタニカ 1972)  
p313に「一里塚」の項目あり。「その後改修に熱意がなく次第に荒廃し、天明頃には原形を失うものも多かったという。」とあり。

2 名主制度 開始年は諸説あり。廃止年の記述あり。
『日本史大事典 5』(平凡社 1994)
p400に「名主(なぬし)」の項「中世からの伝統を引く語で、名主は中世の名主(みょうしゅ)からきた語とされている。(中略)1872年(明治5)新行政区画としての大区、小区制の発足により廃止された。」
『国史大辞典 10』(吉川弘文館 1979) 
p721-722に「名主・庄屋」の項目あり。
「主として江戸時代の村役人または町役人の称。(中略)名主は小田原北条氏の治下にもあり、」
「明治5年(1872)4月9日太政官布告で、荘(庄)屋・名主・年寄などはすべて廃止され、戸長・副戸長と改称して」とあり。 *太政官布告第117号
『明治ニュース事典 Ⅰ』(毎日コミュニケーションズ 1989)
p536「名主」の項「名主を廃して組合を置く(明治2年3月16日 中外新聞)町触れの写し 一、今般東京市中取締り御改正に付き、これまでの名主一同廃され候事。」

3 問屋(場)廃止年のみ記述あり。
『日本史大事典 5』(平凡社 1994)
p8-9に「問屋(といや)」の項目あり。
「港津や宿駅(しゅくえき)で、物資の運送や中継取引、宿屋を兼ねるものを、中世では問丸(といまる)と言った。中世後期、彼らが営業独占権を行使し、流通機構を掌握するにしたがって、だんだん問屋と言われるようになり、近世ではこれが一般化した。」
「とんやとも言われた。」
「問屋制度は分散した小生産者と消費者とを結びつける有力な制度であったから、明治以後も日本の流通機構の中枢的な制度として存続した。1890年(明治23)公布の旧商法では委託販売の業務は仲買人と規定された。(中略)[18]99年公布の現行商法では、この業務は問屋営業と修正された。」
「今なお多くの商品は問屋の手を通して流通している。」
 とあり。
p7-8に「問丸(といまる)」の項目あり。
「中世に港津や都市に住んで貨物の保管、販売に携わった商人。問(とい)ともいう。「問男(といなん)」「問丸」は「馬借丸(ばしゃくまる)」などと同じく貴族が身分の下の者を呼ぶ使い方で、それが通称となっ
た。」とあり。
p10に「問屋場(といやば)」の項目あり。
「近世前期では問屋兼帯(けんたい)の名主(なぬし)や問屋の家を利用することが多かったが、しだいに独立した施設として建設されるようになり、(後略)」
「1868年(明治元)5月の宿助郷(しゅくすけごう)を一体化する駅法改正で、問屋が廃止され伝馬所(でんましょ)取締役が設置されたことにともない、問屋場は伝馬所に改称される。ただし、中山道蕨宿のように呼称・実態ともに変わらなかったところもある。[18]72年宿駅制度の最終的廃止*によって公用交通の継立所(つぎたてしょ)としては終末を迎えることなる。」とあり。
*太政官布告第204号

4 高札 廃止年のみ記述あり。
『日本史大事典 3』(平凡社 1993)
p64-65に「高札(こうさつ)」の項目あり。
「[明治]政府は[18]73年2月、高札法令の周知を理由に、高札一般を撤去した。」とあり。

『国史大辞典 5』(吉川弘文館 1985)
p351-353に「高札(こうさつ)」の項目あり。
「奈良時代末からみられたが、高札の名に相応しいのものは、室町時代に德政・撰銭・喧嘩口論などの札が立てられてからであり、江戸時代に全盛期を迎える。」とあり。
*太政官布告第68号
 
5 本陣 開始年(諸説あり)、廃止年ともに記述があり。
『国史大辞典 12』(吉川弘文館 1991)
p820に「本陣」の項目あり。
「その始源は、南北朝の貞治2年(1363)足利義詮が上洛の途次、その旅舎をもって本陣と称し、宿札を掲げたことにあるともいうが、その史料的信憑性は定かでない。さらに、戦国時代末期から本陣が出現し、次第に増加して寛永12年(1635)の参勤交代制の実施以降に一般化したとする説が多いが、正確には
その前年、将軍徳川家光の上洛に際して(中略)宿駅大名宿の亭主が本陣役に任命されて以降というべきであろう。」
「さらに明治3年(1870)本陣名目の廃止により、その歴史的終焉をみるに至った。」とあり。
『日本史大事典 6』(平凡社 1994)
p231「本陣」の項。
「その始原は室町・戦国時代とする説もあるが、正しくは江戸時代に入り、大名宿の主人が本陣役に任命されて以降であろう。(中略)いずれも幕末・明治初年まで続いた。」
『日本大百科全書 21』(小学館 1988)
p760「本陣」の項。
「近世初期には大名らの宿泊する施設は一定せず、宿場の上等の家屋が宿舎にあてられ、それがしだいに本陣と称されるに至ったといわれ、(中略)1635年(寛永12)の参勤交代実施に伴い本陣が存在するようになったともいわれる。(中略)1870年(明治3)民部省布告*により廃止された。」
*民部省布告第773
回答プロセス
(Answering process)
当館で所蔵している歴史関係参考図書を調査する。
『国史大辞典』『日本史大事典』『ブリタニカ国際大百科事典』『新潮日本人名辞典』など。
それぞれの項目に挙げられている参考文献を調査した。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210 9版)
参考資料
(Reference materials)
『国史大辞典 1』(吉川弘文館 1979)
『日本史大事典 1』(平凡社 1992)
『日本史大事典 5』(平凡社 1994)
『日本史大事典 3』 (平凡社 1993)
『国史大辞典 5』(吉川弘文館 1985)
『国史大辞典 12』(吉川弘文館 1991)
『日本史大事典 6』(平凡社 1994)
『日本大百科全書 21』(小学館 1988)
『新潮日本人名辞典』(新潮社 1991)
キーワード
(Keywords)
一里塚
名主制度
問屋(場)
高札
本陣
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000088383解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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