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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000088347
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2011-013
事例作成日
(Creation date)
2011/01/27登録日時
(Registration date)
2011年07月12日 02時01分更新日時
(Last update)
2011年07月26日 13時56分
質問
(Question)
秩父市大野原の諏訪城主だった諏訪部民部同七左衛門について書かれた資料を見たい。
出典:「中世末期の秩父 日尾・上吉田の山城を起点にして」加茂下仁著
 (『秩父合角ダム水没地域総合調査報告書 下 人文編』p24 合角ダム水没地域総合調査会 1992)
回答
(Answer)
『秩父志』や『新編武蔵風土記稿』など、いくつかの資料に〈諏訪部民部同七左衛門〉の名前を確認することができるが、諏訪城(蓼沼城)の城主であったとの記述が確認できるのみで、その他に詳しい記述のある資料は見つからなかった。また、名前の表記についても〈壽和邊七左衛門〉〈須波邊七左衛門〉〈諏訪民部之進〉など、いくつかの事例がある。

以下の資料を紹介する。
『寛政重修諸家譜 6』(続群書類従完成会 1984)
p148-153 諏訪部氏系図あり 七左衛門見あたらず。諏訪部定勝・定吉(日尾城主)の名はあり。

『埼玉苗字辞典 3 スーノ』(茂木和平著 茂木和平 2007)
p4393 大野原・諏訪城(蓼沼城)に関わるものとしては、「秩父志」にとあり。

『埼玉叢書 1』(稲村坦元編 国書刊行会 1970)
p99-277「秩父志」あり。
p116〈領主〉の項目、弘治年間の記述の中に、「蓼沼 諏訪部宗右衛門」とあり。天正年中の記述の中に、「日尾 諏訪部遠江 蓼沼 壽和邊七左衛門」とあり。
p118-119 大職冠公二十代上杉重房四代の中に鉢形城主上杉越後守顕実の臣名として「諏訪部七左衛門 同(秩父のこと)大野原立沼」とある。
p119 蓼沼城 臣 須波邊七左衛門持 とあり。  
※前後から「(鉢形城外城の一つ)蓼沼城は、(鉢形城主北条氏邦の)臣、須波邊七左衛門が持っている」の意か。
p127からの「武蔵国高辻帳」のうちp139に「城館古迹十四所」の一つとして「諏訪城 大野原村、上杉氏、後諏訪氏按諏訪部氏」とあり。
p203 大野原村 諏訪ノ古城跡に諏訪神社があり、祀主大宮町の権代丹後守が祭したが、この権代丹後守が鉢形家中の諏訪部氏と伝えられているとの記述あり。

『新編武蔵風土記稿 [第3期]12 大日本地誌大系 18』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1977)
p153〈諏訪社〉の項に「扨この所は諏訪民部之進と云へるものの、城跡と云伝ふ、城陥の後諏訪社を勧請せしと云、年代事跡詳ならず、今に土手掘等の遺構往々にあり」とあり。

『秩父路の古城址』(中田正光著 有峰書店新社 1982)
p132-138 〈諏訪城〉の項あり。
p133「「この所は諏訪民部之進と云へるものの城跡と云ふ、城陥の後諏訪社を勧請せしと云、年代事跡詳ならず、今に土手掘等の遺構往々にあり」以上の記録がすべてである。文中の諏訪民部之進とは何者か明らかではないが、鉢形北条家臣の中に家老として諏訪部遠江守がいるので、この諏訪氏の一族であろうか。」とあり。

『鉢形北條領御調書』(大■[ノ]鴻風著  大■[ノ]鴻風 1983)
p47-「武蔵国永禄、元亀、天正、諸郷領主御書上帳」の〈大野原〉の項
「蓼沼城(須波辺七左エ門、民部、民部之進)」とあり。
文献に「秩父志」「秩父風土記」「新編武蔵風土記稿」「日本城郭大系」が挙がっている。

『埼玉叢書 2』(稲村坦元編 柴田常恵編 国書刊行会 1970)
p245‐266に「(増補)秩父風土記」あり。
p264 「一、忍領、高四百十七石三斗一升、恒持庄、大野原村弐組。村名文字の通り中古の新開也。十九番脇、黒澤民部居。諏訪の森 諏訪民部居。」とあり。
※出版はp1解題によると明和(1746-1771)・安永(1772-1780)の頃。忍藩の支配のため、時代が異なる。
p346-369に「鉢形北条家家臣分限録」あり。城主は日尾城主 諏訪部遠江、児玉城主 黒澤上野、白谷城主(城代)加藤駿河、永田城主(城代) 井上三河のみ。 ※諏訪(蓼沼)城、大野原、諏訪(部)の名称はなし。

『日本城郭大系 5 埼玉・東京』(平井聖〔ほか〕編集 新人物往来社 1979)
p121「諏訪城」の項の④創建者に「諏訪民部之進・諏訪民部七右衛門」とあり。
「諏訪民部之進の城址といわれ(『新編武蔵風土記稿』)、また諏訪氏は北条氏に仕え日尾城に住していたが、鉢形北条氏の家臣であるとも伝えられている(『秩父志』)。」とある。
関係主要文献に「新編武蔵国風土記稿」「秩父志」「鉢形落城哀史」「埼玉の館城跡」とあり。

『埼玉の館城跡』(埼玉県教育委員会編 埼玉県教育委員会 1968)
p90 〈諏訪城〉の項に 「城主・居住者 諏訪民部之進 諏訪部七左衛門」とあり。「文献・絵図 埼玉叢書第1巻(公刊)「秩父志」  新編武蔵風土記稿第12巻(公刊) 鉢形落城哀史(四方田美男)」とあり。「伝承・記事 鉢形城の家臣諏訪民部之進(新記)、または諏訪部七左衛門(伝承)の居城と称せられる。蓼沼にあるので蓼沼城とも称す。」とあり。

『原谷村誌』(原谷村誌編纂委員会編 原谷村誌編纂委員会 1989)
p73-75諏訪城址についての記述あり。
日本外史では蓼沼城ともいわれ、蓼沼城主は諏訪部宗右衛門とかかれており、北条氏の時代には鉢形城の家臣諏訪民部進、または諏訪部七指衛門の居城と称せられる。」 「諏訪氏は北条氏に仕え、日尾城に住していたが、鉢形北条氏の家臣であるとも伝えられている。鉢形北条家臣の中に筆頭家臣として諏訪部遠江守がいるが、この諏訪氏の一族であろうか。」などの記述があり。
 他に、諏訪城落陥後に、年代は明らかではないが、本丸跡地に武士たちが崇敬する諏訪社(現在の諏訪神社)を勧進し、毎年7月27日大宮町権代丹後守が祀主となり行ったが、この祀主が鉢形家臣中の諏訪武氏であると土地の人々がいい伝えているとの記述あり。
回答プロセス
(Answering process)

事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
個人伝記  (289 9版)
参考資料
(Reference materials)
『寛政重修諸家譜 6』(続群書類従完成会 1984)
『埼玉苗字辞典 3 スーノ』(茂木和平著 2007)
『埼玉叢書 1』(稲村坦元編 国書刊行会 1970)
『新編武蔵風土記稿 [第3期]12 大日本地誌大系 18』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1977)
『秩父路の古城址』(中田正光著 有峰書店新社 1982)
『鉢形北條領御調書』(大■[ノ]鴻風著  大■[ノ]鴻風 1983)
『埼玉叢書 2』(稲村坦元編 柴田常恵編 国書刊行会 1970)
『日本城郭大系 5 埼玉・東京』(平井聖[ほか]編集 新人物往来社 1979)
『埼玉の館城跡』(埼玉県教育委員会編 埼玉県教育委員会 1968)
『原谷村誌』(原谷村誌編纂委員会編 原谷村誌編纂委員会 1989)
キーワード
(Keywords)
諏訪部 民部同七左衛門(すわべ みんぶどうしちざえもん)
諏訪城
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
所蔵調査
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000088347解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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