レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/01/15
- 登録日時
- 2011/06/01 02:07
- 更新日時
- 2024/03/30 00:34
- 管理番号
- M10032512455790
- 質問
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岡山にある耳塚(鼻塚)について知りたい。
- 回答
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資料①『岡山と朝鮮-その2000年のきずな-』には,備前市香登の耳塚(または百人鼻塚)が,写真と一緒に紹介されている。耳または鼻を百人分,あるいは六万人分埋めてあるという言い伝えがあるが,朝鮮侵略の際に宇喜多軍が持ち帰ったものかどうかはハッキリしないとしている。また,すぐ傍らに祀られている白壁塗,本瓦葺きのこぢんまりとした祠についても紹介しているが,写真からは撮影当時かなり傷みがひどかったことがわかる。資料②『備前を歩く』は,香登に祀られている千人鼻塚を取り上げ,宇喜多秀家の家老長船紀伊守の旗持ちだった長吏六助と新兵衛が朝鮮出兵から帰国した後,持ち帰った塩漬けの鼻を塚を作って葬ったという話を紹介している。掲載の写真には,昭和57(1982)年に再建された祠と,平成8(1996)年に作られた「鼻塚」の碑が並べて整備されている様子が写っており,碑の裏面に,日韓両国の親善を祈念してという趣旨が刻まれていることも説明している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 資料①西川宏著『岡山と朝鮮-その2000年のきずな-』日本文教出版,昭和57年,参照はp85-87 資料②前川満著『備前を歩く』日本文教出版,平成12年,参照はp142-143
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2010032512403155790
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000086895