レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/03/29
- 登録日時
- 2011/04/23 02:00
- 更新日時
- 2011/05/23 13:43
- 管理番号
- 1000000261
- 質問
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解決
琉球王朝の頃、どのような暦を使っていたか知る手掛かりとなる資料があるか。
また、その暦は薩摩藩と関係があるのか?
- 回答
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下記資料を調査、紹介。
『王府の暦をめぐる諸問題』(中鉢 良護、琉大史学会、1990年)
p2~3 「一、暦制関係の諸史料」で、各史料における暦に関する記述を紹介。
『琉球史辞典』(中山 盛茂、文教図書、1978年)
p301~302 「暦」の項。
『沖縄研究ノート 2』(宮城学院女子大学キリスト教文化研究所、1993年)
p22~32 「近世琉球の暦 試論-大清時憲暦と選日通書」(高田紀代志:著)所収。
『沖縄研究ノート 3』(宮城学院女子大学キリスト教文化研究所、1994年)
p1~12 「近世琉球の暦をめぐって 試論その二-琉球暦と薩摩暦」(高田紀代志:著)所収。
『風水・暦・陰陽師』(三浦 国雄、榕樹書林、2005年)
p57~186 「Ⅱ沖縄の暦書と通書と日用百科事典」において、琉球・沖縄で用いられた暦に関する記述あり。
『沖縄大百科事典 中 ケ~ト』(沖縄タイムス社、1983年)
p621 「造暦」の項。
『沖縄民俗辞典』(吉川弘文館、2008年)
p216~217 「こよみ 暦」の項。
上記資料から、沖縄の暦は進貢していた中国との関連が深いことがわかる。例えば、1465年琉球で初めて暦を作成した金鏘や、1674年暦を作成し広めた楊春栄は中国で暦法を学び、暦官として造暦を司っている。但し、第一尚氏王統時代には薩摩の侵攻と明清交代期であった影響で、和暦も使われたとの記述もある。また薩摩の侵攻後は琉球・薩摩両者の間で暦の併用、交換を行っていたことが当時の史料から確認できる。
1663年清の公暦である「時憲暦」を国内で刊行、1718年には「時憲暦」を沖縄に合わせて修改した暦「撰日通書」が作成され、一般に用いられたとされる。その他、民間で作られた暦として「選吉必鑑」や「選日宝鑑」、「廸吉全書」などがある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000085357