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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000076292
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼久-2010-063
事例作成日
(Creation date)
2010/09/26登録日時
(Registration date)
2011年01月08日 02時00分更新日時
(Last update)
2011年01月20日 16時08分
質問
(Question)
東京都港区の天徳寺(愛宕天徳寺)の由来について。江戸の名所だったようだが、①どうして有名になったのか、②どうしてなくなったのか(移転したのか)を知りたい。
回答
(Answer)
該当する記述が見られる資料は以下のとおり。
『江戸三十三観音めぐり 心から心への旅路』(山田英二 大蔵出版 1992)
p124-129「第二十番 光明山 和合院 天徳寺」あり。
由緒等について、記述あり。「徳川氏とは大変密接な関係があり、多くの大名家の菩提寺として徳川幕府の終幕まで栄えた。」とあり。
移転のいきさつは「天正18年(1590)徳川家康が江戸入城し城郭の拡張整備のため、慶長16年(1611)現在地に替地を賜り移った。」とあり。
『天徳寺寺域第3遺跡発掘調査報告書 浄品院跡の考古学的調査』(天徳寺寺域第3遺跡調査団 1992)
p15「天徳寺の歴史と変遷」の項あり(典拠:「寺社備考」)。移転についても記述あり(2度移っているよう)。
『浄土宗大事典 3』(浄土宗大辞典編纂委員会 浄土宗大辞典刊行会 1980)
p60「天徳寺」の項に22行の解説あり。「「江戸紫衣四か寺」の一つといわれた名刹」とあり。2度の移転についての記述もあり。
『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』(平凡社 2002)
p322〈天徳寺〉の項に24行の記述あり。

史料が収録されている図書は以下のとおり。
『御府内寺社備考 3 浄土宗』(名著出版 1986)
p61-75「御府内備考続編 巻之48」〈天徳寺〉の項あり(影印本)。
成立は『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』(平凡社 2002)p1293によると文政12年とあり。
上記『天徳寺寺域第3遺跡発掘調査報告書』等の典拠になっているもの。

『東京市史稿 市街篇2』(東京市 臨川書店 1993(大正3年刊の復刻))
p177-180「天智庵創建」の項あり。漢文で書かれている。天智庵は天徳寺の最初の名称。「文政寺社書上」「御府内備考」「新撰往生伝」「東京通志」を典拠とする記述あり。創建時のことが中心のようである。

『浄土宗全書』(浄土宗開宗八百年記念慶讃準備局 1972-1994)
「第22巻索引」p332「天徳寺」についての記述が同全書の16巻~20巻に46か所あり。
(例)第16巻p795「円光大師行状画図翼賛」(p697-)下段に天智庵(後に天徳寺と改たむ)創設の記事あり。
(例)第20巻p463「浄土宗寺院調書」(p459-)中に〈天徳寺〉の項あり、10行ほどの記述あり。
(例)第20巻p606-607「浄土宗史」(p470-)中に「紫衣地」の項あり。天徳寺についても記述あり。
他に記述のあるのは、17巻、18巻、19巻など。
回答プロセス
(Answering process)
その他の調査経過、追加情報などは以下のとおり。

インターネット情報
《Google》〈天徳寺〉で検索し東京都内の寺を見ると、「天徳寺 港区虎ノ門にある浄土宗の寺院」があり。当ページの備考欄に有名だった理由として考えられる事由あり。
家康から50石・家忠より100石の朱印を賜った御朱印寺であったこと。
浄土宗江戸四ヶ寺のひとつだったこと。
もとは光明院和合院と号していたが、本尊の阿弥陀如来が光明をはなって武蔵・上総・下総の三国を照らす奇端を知恩院の徳誉上人が奏聞し、天明院天徳寺の勅願を賜り、紫衣の綸旨をうけた。
綱吉から奏請により以来常紫衣寺となったこと。
かくて将軍家、越前、出雲松平家等、数十藩主の菩提寺として幕末におよび、また堂上方江戸下向の際の御旅所に宛てられ、安政6年樺太、北蝦夷国境問題で露国使節ムラビエフとの交渉議定の会所にもなった。
(出典:昭和新撰江戸三十三観音札所案内より)
http://www.tesshow.jp/minato/temple_tora_tentoku.html  2010/09/26最終確認)

その他の調査済資料は以下のとおり。記述が少ない、あるいは見あたらなかった資料。
『江戸・東京礼所事典』(塚田芳雄 下町タイムス社 1989)
各地の札所のリストあり。
p2-7「江都三十三所(古来の札所)」の項に20番天徳寺の名あり(「続江戸砂子」享保20年版による)。
p14-15「(江戸内)西方三十三所」の項の5番目にも天徳寺の名あり(「東都歳時記」による)。
p60-61「昭和新撰江戸三十三所」の項に20番天徳寺の名あり(昭和51年に制定。江都三十三所の一部が廃寺などになったための補完)。
『戦国織豊期の社会と儀礼』(二木謙一 吉川弘文館 2006)
「イエズス会史料が明かす天徳寺とキリシタン法の接点」の項があるが、これはザビエルに面会した人物・天徳寺宝衍(萬久)のこと。
『古寺名刹大辞典』(金岡秀友 東京堂出版 1992)

追加情報 後日記述が見つかった資料
『日本名所風俗図会 3 江戸の巻』(角川書店 1979)
p118「東都歳事記 春の部 「閻魔参」の項に「西ノ窪天徳寺中随養院(木像)」とあり。通年の閻魔参で訪れられたと思われる。
p127「東都歳事記 春の部 二月 彼岸」。「西方三十三所観音札所参(彼岸中参詣多し、ここに順路をしるす、上より潤に読む下すべし)」とあり、その五番が「あたご下天徳寺」と記述あり。
p196「東都歳事記 附録」「江戸三十三所観音参(古来の札所といふ、享保二十年開板の『江戸砂子拾遺』に載せたり。詠歌これを略す。)〔中略〕二十番西窪天徳寺」と記述あり。
p204「東都歳事記 附録」「円光大師遺〔ショウ〕写二十五箇所巡拝(正月二十四日二十五日に詣づべし、安永年中のてへん撰なり)。〔中略〕十番 西の窪天徳寺 京都今出川浄華院写 ゆきのうちにほとけのみなを唱ふればつもれる罪もやがてきえぬる」と記述あり。

『江戸風俗東都歳時記を読む』(川田寿 東京堂出版 1993)には記述なし。
事前調査事項
(Preliminary research)
「広辞苑」「日本仏教史辞典」「岩波仏教辞典」「国史大辞典」
『古寺名刹の百科事典』に〈天徳寺〉あり。港区虎ノ門3-13。開山は天文2年(1533)。浄土宗江戸四か寺の一つ。
『日本名刹事典』に〈天徳寺〉あり。慶長16年(1611)現在地に移転した。浄土宗江戸紫衣四か寺の一つとして栄えた。
NDC
寺院.僧職  (185 9版)
関東地方  (213 9版)
参考資料
(Reference materials)
『江戸三十三観音めぐり 心から心への旅路』(山田英二 大蔵出版 1992)
『天徳寺寺域第3遺跡発掘調査報告書 浄品院跡の考古学的調査』(天徳寺寺域第3遺跡調査団 1992)
『浄土宗大事典 3』(浄土宗大辞典編纂委員会 浄土宗大辞典刊行会 1980)
『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』(平凡社 2002)
『御府内寺社備考 3 浄土宗』(名著出版 1986)
『東京市史稿 市街篇2』(東京市 臨川書店 1993(大正3年刊の復刻))
『浄土宗全書』(浄土宗開宗八百年記念慶讃準備局 1972-1994)
『日本名所風俗図会 3 江戸の巻』(角川書店 1979)
キーワード
(Keywords)
天徳寺
寺院-港区-東京都
寺院-浄土宗-歴史
古刹
江戸三十三所
札所
関東地方-歴史
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000076292解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決