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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000075892
提供館
(Library)
京都市図書館 (2210023)管理番号
(Control number)
右中-郷土-31
事例作成日
(Creation date)
2010/12/17登録日時
(Registration date)
2010年12月23日 02時00分更新日時
(Last update)
2011年08月29日 17時24分
質問
(Question)
京都画壇の系譜(師弟関係)について知りたい。
回答
(Answer)
京都画壇は近世より,土佐派や四条円山派などが展開していましたが,一般的には明治以後の京都美術界のこととされています。(【資料1】より)
京都の日本画家のほとんどの者は家塾に入門し,師匠の指導を受けて固く結ばれており,明治の中頃までは,森寛斎(もりかんさい),幸野楳嶺(こうのばいれい),鈴木百年(すずきひゃくねん)の家塾が京都画壇の中心となっていました。明治13(1880)年に京都府画学校が開校してからも,教鞭をとる画家たちはそれぞれに家塾をもち,学校以上の力を持っていました。
明治の中頃以降に京都画壇の中心となったのは,四条派の伝統を引き継ぐ幸野楳嶺門下の画家たちで,「楳嶺四天王」と呼ばれる竹内栖鳳(たけうちせいほう),菊池芳文(きくちほうぶん),都路華香(つじかこう),谷口香嶠(たにぐちこうきょう)は後に独立し,それぞれに家塾を持ちました。なかでも栖鳳の竹杖会(ちくじょうかい)は最も大きく,門下からは土田麦僊(つちだばくせん),小野竹喬(おのちっきょう),橋本関雪(はしもとかんせつ),西山翠嶂(にしやますいしょう)らを輩出,翠嶂門下からは堂本印象らを輩出しました。
円山派では,森寛斎門下の山元春挙(やまもとしゅんきょ)が川村曼舟(かわむらまんしゅう)らを育て,鈴木百年(すずきひゃくねん)門下からは鈴木松年(すずきしょうねん),今尾景年(いまおけいねん)らを輩出しました。
また,女性として初の文化勲章を受章した上村松園のように,京都府画学校に入学後,鈴木松年に師事,後に幸野楳嶺門下に入り,竹内栖鳳に師事するというように,流派をまたぐ場合もあるようです。

【資料2】【資料3】では系図が掲載され,一目で師弟関係がわかります。近世の系図は【資料4】で見ることができます。また,系図ではありませんが,【資料5】【資料6】には今日ではあまり知られていない画家の経歴の中で師弟関係についても触れられています。また,【資料6】【資料7】では塾の様子や指導法などのエピソードが綴られています。
回答プロセス
(Answering process)
京都画壇に関する書籍,展覧会の図録を確認しました。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本画  (721 8版)
参考資料
(Reference materials)
【資料1】『京都大事典』(佐和隆研ほか編集 淡交社 1984)
【資料2】『日本画の「値段」 京都画壇の見方、買い方』(川崎正継著 淡交社 2010)p8~9
【資料3】『京都画壇のルネサンス 近代化と楳嶺・栖鳳』(京都市社会教育振興財団 1982)p66~67
【資料4】『近世の京都画壇 画家と作品』(京都市文化観光局文化部文化財保護課 1992)p82
【資料5】『京都に於ける日本画史』(神崎憲一著 京都精版印刷社 1929)
【資料6】『京都の日本画 近代の揺籃』(島田康寛著 京都新聞社 1991)
【資料7】『京都画壇』(橋本喜三著 三彩社 1968)
キーワード
(Keywords)
京都画壇
日本画
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000075892解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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