『京都の歴史 9 世界の京都 京都市編』(学芸書林、昭和51)によると概ね以下の経緯がある。( )内は同書の掲載ページ。
国道1号線京都―大津間が日本の大動脈であるにもかかわらず道路幅が狭く、路面電車との並行・平面交差などにより機能欠陥が著しかったために東山バイパスが計画され、昭和34年着工、42年に完成する。(p438)
旧国道1号線(京津国道)は、東山バイパス、枚方バイパスの完成により一般府道四ノ宮四ツ塚線となり、新国道1号線は、四ノ宮より東山バイパスー五条堀川―四ツ塚―下鳥羽―枚方バイパス経由に変わる。(p434)
なお、同書の附録としてカラー地図「現代都市=京都の模索」があり、都市計画道路として、京津国道、東山国道、五条通などの記載があります。この地図では上記東山バイパスを東山国道と称しているようである。
『京都市政史 第5巻 資料 市政の展開 京都市市政史編さん委員会編』(京都市、平成18)には、「国道一号線の東山バイパスが開通する」との項で、京都新聞1967年4月21日付の記事が抜粋で収録されている(p658)。ここでは、国道一号線の東山バイパス(東山国道)が完成し、山科、三条、東大路など大型車の大量交通で事故の危険と公害に悩まされてきたとの記載がある。