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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000072977
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2010-042
事例作成日
(Creation date)
2010/06/23登録日時
(Registration date)
2010年10月28日 02時03分更新日時
(Last update)
2010年11月16日 14時29分
質問
(Question)
韓国の新聞メディアは韓国保護国化についてどう報道しているか、また韓国国民は保護国化についてどうみているかという韓国側の意見を調べたい。
回答
(Answer)
日露戦争終結後の1905年(明治38)11月17日に第二次日韓協約が結ばれ、韓国の外交権はほぼ日本に接収され、韓国は事実上保護国となった。
当時の韓国では、新聞各紙は敢然と論説を発表し、日本の要求に屈することで祖国を裏切った閣僚と、条約を非難した(『新潮45』)。
詳細については『1905年韓国保護条約と植民地支配責任』や『朝鮮近代の風雲誌 青丘文化叢書 6』などに詳しく載っている。特に前者は協約調印の経緯や当時の朝鮮での反応についてだけでなく、1990年以降の論議の高まりについても詳しく記述されている。

その他記述のある資料
『1905年韓国保護条約と植民地支配責任』(創史社 2005)
調印の経緯(第2章)や当時の報道を含む朝鮮での反応(第3章)についてだけでなく、1990年以降の論議の高まりについても詳しく記述されている。
『朝鮮近代の風雲誌 青丘文化叢書 6』(姜在彦著 青丘文化社 2000)
p195 「1905年11月、第二次日韓協約=乙巳保護条約があってから・・・1910年8月の韓国「併合」にい たる五年間は、日本による侵略とそれに対決するきびしい言論戦が最高潮に達した時期であった。」として、当時の報道についての詳しい記述あり。
『新潮45 18-9(209)』(新潮社 1999)
p264-281「明治天皇 第56章 第二次日韓協約調印」
p278「日本に強要された条約をめぐって、当然のことながら韓国国内では激しい憤懣の声が挙がった。やがて条約に対する閣僚たちの票決の経緯が、報道機関に漏れた。新聞各紙は敢然と論説を発表し、日本の要求に屈することで祖国を裏切った閣僚と、条約を非難した。続く数日間、王宮前広場で民衆の「慟哭」と抗議運動が行なわれた。商人は店を閉じ、学生は校門を閉ざした。キリスト教徒は、大聖堂を怒りの声と号泣で満たした。(*38)
p281(*38) 「片野「李朝滅亡」225-226ページ参照。条約に賛成した五大臣は、民衆から「乙巳五賊」としての烙印を押された。乙巳は、この年の干支であった。」とあり。
『朝鮮言論統制史』(李 練著 信山社 2002)
p56 「第4章 韓国の保護国化前後の言論政策」
p102 2 反統治体制言論とその統制     
1905年乙巳(保護)条約について載せた『皇城新聞』について触れている。ほかにも、同じく『皇城新聞』で言論統制前に保護国化の論説について103pに一部記述あり。
『日韓併合』(森山茂徳著 吉川弘文館 1992)
p94 第二(朝鮮保護政治の開始) 一 日露開戦と保護権確立 朝鮮の対応 
第二次日韓協約(乙巳保護条約)締結時の『皇城新聞』と『大韓毎日申報』の報道について記述あり。
p112 同 二 朝鮮保護政治の開始 保護政治への抵抗運動
民衆運動(新聞の様子p115-を含む)と日本の対応について詳しい記述があり。
『海外の新聞にみる日韓併合』(杵淵信雄著 彩流社 1995)
p201 「保護条約」の章
「韓国の新聞「皇城新聞」は条約の締結二日後の紙面で「是日也放声大哭」(11月20日)と糾弾し、筆者張志淵は逮捕され新聞社は発行を停止された。」
p211 「高宗は外国の新聞社に第二次日韓協約の無効を訴え続け、・・・」とあり。
『大宅壮一全集 26』(大宅壮一著 蒼洋社 1981) 
p238 「根強く残る対日敵意」の章
韓国併合時の民衆の様子や、メディアの言論統制などについて詳しい記述あり。
p248 「李太王の反日策略」の章 
明治38年日韓保護条約が結ばれた直後、李太王が盛んに反日熱をあおり、外国人記者を使って、新聞記事を載せ外国の元首に訴えた様子がでている。
『朝鮮独立運動の血史 1』(朴殷植著 平凡社 1972)
p29-34 第7章 国民は保護条約に慟哭する。
p33 『皇城新聞』のスクープと社長の逮捕、『大韓毎日申報』での詳細報道(伊藤の奸策を攻撃し、世論を激発)についての記述と条約締結時の学生、商人、武官等の行動についての記述あり。
『「植民地朝鮮」の研究』(杉本幹夫著 展転社 2002)
p192 第二次日韓協約
(1905年11月)「伊藤博文が特使として韓国に派遣され、軍隊の圧力を背景に第2次日韓協約を締結した。」「武力で脅迫したゆえ、この協約は無効であるとの意見が韓国では根強い。その代表は李泰鎮で雑誌『世界』に強力な論調を張っている。」
『青丘学術論集 24』(韓国文化研究振興財団 2004)
p141-172「第2次日韓協約調印と大韓帝国皇帝高宗」
調印に至る詳細な記述あり。11月15日の内謁見の内容が外部にもれ、新聞『コリアデーリーニュース』 に要求4カ条を暴露する記事が掲載されさらに他の新聞『大韓毎日申報』にも転載された。
『大韓帝国の新聞を巡る日英紛争 あるイギリス人ジャーナリストの物語』(鄭晋錫著  晃洋書房 2008)
p136 第5章反日言論に対する日本の反応
日露戦争後の日本の朝鮮の新聞と雑誌に対する事前検閲の実施、朝鮮言論に対する弾圧についての 記述あり。また、欧米人の発行する新聞や雑誌は、日本が手をつけることができなかった。ハルバートが『コリアレビュー』で反日運動を展開した記述あり。保護協約に関して具体的な記述はなし。
回答プロセス
(Answering process)
インターネット情報等を使い「韓国保護国化」について確認する。
自館目録を〈日韓併合〉〈韓国併合〉〈言論統制〉等で検索し、調査する。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
朝鮮  (221 9版)
参考資料
(Reference materials)
『1905年韓国保護条約と植民地支配責任』(創史社 2005)
『朝鮮近代の風雲誌 青丘文化叢書 6』(姜在彦著 青丘文化社 2000)
『新潮45 18-9(209)』(新潮社 1999.9)
『朝鮮言論統制史』(李 練著 信山社 2002)
『日韓併合』(森山茂徳著 吉川弘文館 1992)
『海外の新聞にみる日韓併合』(杵淵信雄著 彩流社 1995)
『大宅壮一全集 26』(大宅壮一著 蒼洋社 1981)
『朝鮮独立運動の血史 1』(朴殷植著 平凡社 1972)
『「植民地朝鮮」の研究』(杉本幹夫著 展転社 2002)
『青丘学術論集 24』(韓国文化研究振興財団 2004)
『大韓帝国の新聞を巡る日英紛争 あるイギリス人ジャーナリストの物語』(鄭晋錫 晃洋書房 2008)
キーワード
(Keywords)
朝鮮-歴史-日本統治時代
日本-外国関係-朝鮮-歴史
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000072977解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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