レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2010/09/28 14:05
- 更新日時
- 2012/12/22 15:56
- 管理番号
- 新門司分館06 戸内、宮﨑
- 質問
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解決
漢字は中国から入って来たといわれていますが、どういう経路で日本に伝わってきたのですか。
- 回答
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『日本語の歴史2文字とのめぐりあい』や『漢字伝来』などによると、日本語は文字を持たない言語でした。中国の周辺部に位置していたため中国文化の圧倒的な影響を受け、4世紀後半に漢字が伝えられたと考えられています。1世紀頃もたらされた「金印」や銅鏡、銅銭などの漢字や、日本で発掘された3世紀頃の土器に書かれた漢字はどの程度文字として認識されていたか不明で、言語記号体系としての文字の伝来とは言い難いようです。
日本では、大量の木簡が出土していますが、新羅の木簡や朝鮮各地の石碑などとの比較研究が進み、漢字が朝鮮半島を経て伝わってきたことが次第にわかってきました。漢字の伝来以後、日本人は漢字を使って日本語を書き表すことに様々な工夫を重ねてきました。そうして出来たのが日本語の音節文字である「カタカナ」「ひらがな」です。漢字使用の初期の例として は、稲荷台一号墳鉄剣銘、稲荷山古墳出土鉄剣銘、江田船山古墳出土太刀銘、隅田八幡宮人物画像鏡銘などがあります。
なお、漢字そのものの伝来とはやや趣きを異にしますが、学問或いは典籍の伝来の話は、記紀に伝えられています。日本書記によれば、応神天皇16年に百済の王仁が来て、太子は王仁を師として諸の典籍を習ったとあります。古 事記では応神天皇の時、和邇吉師が論語十巻、 千字文一巻を百済から貢進したとあります。これについては、古来から論語の巻数や千字文の成立期などからみて疑問視されていますが、応神紀の事は干支二回り即ち120年ずらして伝えられている事が多いとの説もあり、それを考慮するとほぼ漢字伝来の経緯と重なります。
漢字の伝来が日本語や日本文化の進展に大きな影響を与えたこと、現代も漢字仮名交じり文が日本語表記の原則となっており、その効果、便利さについては大方の認めるところですが、一部には漢字が本来のやまと言葉としての日本語の発達を阻害し、日本社会にリタラシーの格差をもたらしたとして、また、表記体系の複雑さから外国人が日本語を学習することが困難であり、国際化の障壁となっているとの否定的な指摘もあります。
- 回答プロセス
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漢字伝来については、自館及び市内の市立図書館の請求記号800を調べ、漢字について記述がある本を探し、内容を照らし合わせました。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『日本語の大常識』 金田一秀穂監修 ポプラ社 2006年 <810/チ> (30~31頁)
- 『古代日本 文字の来た道』 国立歴史民俗博物館編 大修館書店 2005年 <811/コ> (32~53頁)
- 『日本語の歴史2 文字とのめぐりあい』 亀井孝、大藤時彦、山田俊雄編 平凡社 1963年 <810.2/ニ/2>(162頁~217頁)
- 『列島の古代史6 言語と文字』 上原真人他編 岩波書店 2006年 <210.2/レ/6>(1~10頁)
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『漢字伝来』 大島正二 岩波書店 2006年
- 『日本史史料[1] 古代』 歴史学研究会編 岩波書店 2005年 <210.08/レ/1>
- 『日本の歴史第2巻 日本の原像』 平川南著 小学館 2008年 <210.1/ニ/2>
- 『漢字の知恵』 藤堂明保 徳間書店 1965年 <811.2/ト>
- 『図解 日本の文字』 沖森卓也他編 三省堂 2011年 <811/ズ>
- 『日本の漢字1600年の歴史』 沖森卓也 ・武田ベレ出版 2011年 <811.2>
- 『日本書紀 上』日本古典文学大系67 坂本太郎他校注 岩波書店 1967年 〈918/ニ/67〉 (372~373頁)
- 『古事記 祝詞』日本古典文学大系11 倉野憲司校注 武田祐吉校注 岩波書店 1958年 〈918/ニ/1〉 (248~249頁)
- 『古事記伝 綏靖天皇 應神天皇』増補本居宣長全集3 本居宣長著 本居豊頴校訂 本居清造再校訂 吉川弘文館 1926年 〈918.5/モ/3〉 1718~1731頁
- 『漢字が日本語をほろぼす』 田中克彦 角川マーケティング 2011年 < G810.9/タ>
- キーワード
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- 漢字,
- 伝来
- 木簡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000071818