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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000071173
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2010-010
事例作成日
(Creation date)
2010/03/19登録日時
(Registration date)
2010年09月11日 02時00分更新日時
(Last update)
2010年09月21日 12時33分
質問
(Question)
平城宮が真四角でない理由を知りたい。
回答
(Answer)
現在判明している平城京の形は、質問にあるとおり、「真四角」ではなく、東に張り出しがある(②④⑤⑥⑧⑨⑩)。張り出し部があることは戦後になって明らかになっている(④)。張り出し部分は遷都後に創られているという研究結果もあり(①⑥)、遷都当初は藤原京と同様に正方形で設計されたものとの推定もある(⑥)。
奈良時代前期にはこの張り出し部に皇太子の居所である「東宮」がつくられ、これが東院に発展していったというのが現在の見解のようである(⑤⑦)。
理由については、(東南部分が天香久山丘陵で実際には条坊道路施工ができなかった)藤原京を参考にしたためとするもの(②)や、国家的儀式や政務などを執行する朝堂院区画が二か所に設定され宮城内の必要面積の不足を招いたことにより、東院部分を追加したため(③)、とする資料がある。
またインターネット情報でもいくつかの説がある。

①雑誌『奈良文化財研究所紀要 2002』(奈良文化財研究所)
p30-33「平城京東院地区の造営年代」あり。東院地区が平城京造営の当初から設定されていたものではなかった、あるいは遷都後3年を経過した和銅6年にいたってもなお、平城京の形態が定まっていなかった、と結論づけている。

②『飛鳥・藤原京の謎を掘る』(千田稔共編著 文英堂 2000)
p289〈藤原京と平城京の相違点と共通点〉の項。
藤原京と平城京の類似点を挙げる中に「どちらも東に張り出し部分を持つ。(略)この張り出し部分は、藤原京の場合、天香久山一帯が丘陵地域であったため事実上条坊道路施工が不可能であったのに対し、平城京では道路施工が可能であったのに施工されなかった。(略)張り出しの位置や大きさはほぼ同じである。(略)京のプランとしては藤原京をモデルとしたのである。」

③『日本古代都城制の研究 藤原京・平城京の史的意義』(井上和人著 吉川弘文館 2008)
p36 「二つの朝堂院と東院」の節
平城京には国家的儀式や政務などを執行する朝堂院区画が二か所に設定されたいたため宮城内の必要面積の不足を招いたことにより「もっぱらこの張り出し部分に東宮(東院)を設定するためのものであったのだと見るべきであろう。」とあり。他、配置についての説明あり。

④『古都発掘』(田中琢編 岩波新書 1996)
p137に「平城宮は、藤原宮や平安宮と同じように、平面が正方形になる敷地だ、とそれまで考えていました。正方形なら東向きの東辺南門があるべき位置に南に開く門が見つかった。つまり、平城宮は正方形ではなかったのです。これ以降(1966年の発掘以降)、東部で実施した一連の発掘調査で、平城宮は東辺の北4分の3の部分が更に東に張り出していたことが判明しました。定説を覆す大発見でした。」とある。

⑤雑誌『別冊太陽 2010年1月15日 特集:平城京 平城遷都1300年記念』(平凡社 2010)
p23 「まず、平城京は正方形ではなく、東に張り出しのある形をしていること。ここは、東院と考えられている。東院は、後の皇太子のことを指す東宮のもとになった宮殿であるが、(略)」とあり。

⑥ 『古代都城制条里制の実証的研究』(井上和人著 学生社 2004)
p221「平城京は東辺が東に張り出して東院地区を形成するが(略)東院地区の設定は和銅6年(713)以降と考えられる状況が認められ、さらに、遷都当初、平城京は藤原京と同様に正方形のプランとして企画されていたとも推定できる。」
p351「平城京東院地区の造営年代」
「東院地区の造営が和銅3年(710)の平城京遷都からさらに3年以上遅れた年代に着手された可能性を論じる。」とあり。

⑦『平城宮発掘調査報告 東院庭園地区の調査 15 本文編』(奈良文化財研究所著 奈良文化財研究所 2003)
p165-174 「2 文献資料より見た東院地区と東院庭園」
東院地区に皇太子の居所である東宮が営まれたことなどが詳細に書かれている。

⑧『古代王権と都城』(仁藤敦史著 吉川弘文館 1998)
p275 「平城宮の中宮・東宮・斎宮」の章あり。
p276 奈良時代前半の平城宮の図あり。張り出し部は造酒司・南苑とされた。
p277 奈良時代後半の平城宮の図あり。張り出し部は造酒司・東内→楊梅宮とされた。
p296 「西宮と東宮(東院)」の項あり。東院について文書上の記載についての記述あり。

⑨『藤原京の形成 日本史リブレット 6』(寺崎保広著 山川出版社 2002)
p52 藤原京の復元(正方形ではない)の各説を紹介。p94唐長安城平面図あり。

⑩『藤原京 よみがえる日本最初の都城』(木下正史著 中央公論新社 2003)
p155 藤原京の復元説を紹介。p163(現在有力な)小沢毅による復原図あり。東南部分が丘陵地帯で道路は造られない。

(インターネット情報)
《Google》を〈平城京 & 正方形〉で検索すると6000件あまりヒットするが、学者等による張り出しの理由についての主な説は以下のとおり。
鳥取環境大学 浅川研究室
藤原京ができた後、702年に数十年ぶりに遣唐使が派遣され、長安城を参考に急遽平城京に遷都することになったが、その2重構造を持ち込んだため、とする説。
http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-380.html  2010/05/12最終確認)

山口大学 国語研究室(URLから推測)
「この東張り出し域が何故付けられたのかは不明です。ただ想像出来ることは、この中には北に佐保郷、中央付近は春日郷になりますので、古くからの居住地になっており、郊外に出すよりも京域として取り込んだと考えられることです。」
http://yoshi01.kokugo.edu.yamaguchi-u.ac.jp/zyugyou/heizyou/heizyou.html  2010/05/12最終確認)
回答プロセス
(Answering process)
平城京に関する図書や雑誌を確認する。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210 9版)
参考資料
(Reference materials)
『奈良文化財研究所紀要 2002』(奈良文化財研究所)
『飛鳥・藤原京の謎を掘る』(千田稔共編著 金子裕之共編著 文英堂 2000)
『日本古代都城制の研究 藤原京・平城京の史的意義』(井上和人著 吉川弘文館 2008)
『古都発掘』(田中琢編 岩波書店 1996)
『別冊太陽 2010年1月15日』(平凡社)
『古代都城制条里制の実証的研究』(学生社 2004)
『平城宮発掘調査報告 東院庭園地区の調査 15 本文編』(文化財研究所著 奈良文化財研究所 2003)
『古代王権と都城』(仁藤敦史著 吉川弘文館 1998)
『藤原京の形成 日本史リブレット 6』(寺崎保広著 山川出版社 2002)
『藤原京 よみがえる日本最初の都城』(木下正史著 中央公論新社 2003)
キーワード
(Keywords)
平城宮
宮都-古代-日本
都城制
奈良-歴史
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000071173解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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