レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年11月25日
- 登録日時
- 2009/11/17 16:35
- 更新日時
- 2013/01/30 09:16
- 管理番号
- 群‐0027
- 質問
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解決
前橋には厩橋という橋があったのか
- 回答
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通説では、東山道の「群馬駅」(駅家:うまや)の近くを流れる川に架けられた橋に由来するが、川の名や橋の位置は諸説あり。
- 回答プロセス
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『群馬の地名』
”古代では「駅」とかいて、「うまや」と読んだ。この駅は官道に置かれたもので、・・・ この群馬駅の傍らを川が流れていたものらしい。・・・ 利根川の分流であり、用水路であったかも知れない。ともかくそこに川があり、橋がかかっており「うまやばし」とよばれていたらしい。”
『直泰夜話』
”前橋は、往古は厩橋と申し候。平岩殿など在城の頃は、利根川細くて、厩郭より利根川に橋を架けて、古市村の方へ往来有りし故、 厩橋と申し候。”
『群馬の地名 郡名から大字名まで』みやま文庫45
”前橋(まえばし)もとは厩橋(まやばし)といった。・・・ 延喜式(972年編)に「群馬駅」、和名抄(930年ごろ成る)の群馬郡の項に「駅家」とある。当時の政治の中心であった国府の近くという点から、東山道の宿駅として発達したと考えられる。”
『群馬県の地名』(日本歴史地名大系10)
駅家郷(うまやごう)の項目あり。
『前橋市史』 第1巻
”「厩-うまや」という名の起こりは、「駅-うまや」から起こっているもので、その「駅」は群馬郡側にあったことは、承平年中(931-937)にできた『倭名類聚鈔』に明らかである。”
『郷土資料事典 ふるさとの文化遺産 10 群馬県』
”今の利根川本流のところに車川という流れがあり、この川を官道が橋で渡っていた。橋のかたわらには往来する旅人の便を図るための駅家(うまや)があったので、自然人々はこのあたりを「うまや一の橋」と呼ぶようになった。これが前橋の古名である「厩橋(うまやばし)」の起源と伝えられている。群馬(くるま)の郡、駅家の郷、群馬の郷などといった地名が古文献に見えはじめたのは、平安時代中期の10世紀ごろである。”
『地名考証 群馬 府県名の地名学的研究』
”「大日本地名辞書」第六巻「坂東」には次のようにあります・・・ 国郡沿革考云、群馬郷、諸書の擬定する所、郡の西隅車川(クルマ)あるを挙げて、其の地と為す。 然れども車川、白川の地は全く長野郷の内にして、別に一郷を置くべからず、・・・ 今按、郷名と同じき者は、多く国府或は郡家の地なりと云はんは可なり、而も必然とは為し難し、但此郡に於て、諸郷の位置を考定推擬すれば、群馬郷の国府の地たること、疑惑を容れず、車川を以て旧郷の遺名と為すべからず、と云ふのみ、・・・ ”
”前橋は古くは厩橋=マヤハシで、・・・ 通説では古代の東山道「群馬駅」の近くを流れる川に架けられた橋に由来する・・・ が、前橋城には二の丸の南に厩曲輪があり、厩橋のあった所には明治時代にも曲輪橋という橋があって、石倉に通じていました(山崎一「群馬県古城塁址の研究」上巻)。”
前橋市ホームページの「前橋市の歴史」にも解説あり。(2013年1月確認)
http://www.city.maebashi.gunma.jp/sisei/444/445/p001291.html
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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『群馬の地名』上巻 尾崎喜左雄著 上毛新聞社 1976 p.330-334
『群馬の地名をたずねて』 群馬地名研究会編 都丸十九一監修 上毛新聞社 1998 p.100-101
『直泰夜話』 勅使川原三左衛門直泰著 宮下藤雄校注 1966 p.42-43
『群馬の地名 郡名から大字名まで』 (みやま文庫45) 相葉伸〔ほか〕編 1971 p.27
『群馬県の地名』(日本歴史地名大系10) 平凡社 1987 p.66
『前橋市史』 第1巻 前橋市史編さん委員会編 第1巻 1971 p.722-723
『郷土資料事典 ふるさとの文化遺産 10 群馬県』 ゼンリン 1997 p.24
『地名考証 群馬 府県名の地名学的研究』 福田浩著 週刊サンデージャーナル 2001 p.73
『群馬県史』通史編2 p.204
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『群馬の地名』上巻 尾崎喜左雄著 上毛新聞社 1976 p.330-334
- キーワード
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- 橋
- 前橋
- 厩橋
- 駅家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000059559