レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/11/25
- 登録日時
- 2009/04/17 02:11
- 更新日時
- 2011/12/27 15:26
- 管理番号
- 愛知県図-00194
- 質問
-
未解決
尾張藩の鷹匠について。その歴史や規模、人数など
- 回答
-
キーワード「鷹匠」「鷹狩」や、NDC分類787.6(遊猟、鷹狩)でOPACを検索したところ、尾張藩の鷹匠について解説する資料は見当たりませんでした。
『「名古屋市史 索引』に「鷹狩」の項目があり、【資料1】の第九章「遊戯」の第六節「放鷹」に、鷹狩りについての記述がありましたが、鷹匠については、放鷹の名人として数名の名が挙がっているのみでした。
【資料2】第9章「御三家筆頭の鷹場支配」では、比較的明確になっている将軍家の鷹匠制度の解説(p223)の後、それと比較する形で、尾張徳川家の御鷹役所の構成について触れられています(p232)。それによると、御鷹匠頭は二人制であったこと、配下の役職名などが分かりますが、御鷹方役人の総数は不明であり、100人は下らないであろうと推定されています。
【資料3】に収録されている『尾州家官制』は、尾張藩の「藩中席次」と諸役人の支配系統を表示したもので、享和年中(1801-1803)に成立したものと推定されています。「御鷹匠頭」(p8)はじめ、「御鷹匠頭支配」の役職者の藩内における位置づけをうかがうことができます。人数等は分かりません。
【資料4】は、幕府の鷹場についての解説で、鷹匠制度についての記述もあります。参考文献には尾張藩に関するものも掲載されており、うち【資料5】「尾州御鷹場についての一考察(6号)」は、当館に所蔵がありましたが、鷹匠については触れられていませんでした。また、キーワード「鷹場」で検索したところ、【資料6】【資料7】がありました。これは現小平市にあった尾張藩の鷹場に関する史料を網羅的に集めたものですが、鷹匠の制度が直接分かるようなものは見つけられませんでした。
【資料8】には、江戸前、中、後期の尾張藩分限帳が掲載されています。前期分限帳(寛永年間)には、「御鷹師衆」として十一人の記載があります。中期分限帳(元禄末-享保頃)には、「御鷹匠頭」として2名の名が、後期の分限帳(明治2年訂正)には「御鷹匠頭1名、「御鷹匠組頭格」2名が載っていました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
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- 資料1『名古屋市史 風俗編』 愛知県郷土資料刊行会,1979(1915刊の復刻) (1101476396)
- 資料2『尾張藩社会の総合研究 3』 清文堂出版,2007 (1109173296)
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資料3『名古屋叢書 第3巻 法制編(2)』 名古屋市教育委員会,1961
(1101475933
資料4『鷹場史料の読み方・調べ方』 雄山閣,1985|1100683744) - 資料5『立川市史研究6-9』 立川市史編纂委員会,1968 (1104064833 )
- 資料6『小平市史料集 第21集 鷹場1』 小平市教育委員会,1997 (1107621930)
- 資料7『小平市史料集 第22集 鷹場2』 小平市教育委員会,1998 (1107621940)
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資料8『新修名古屋市史 資料編 近世1』 名古屋市,2007
(1109234050
)
- キーワード
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- 鷹匠
- 尾張藩
- 鷹狩
- 鷹場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000053953