レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年03月06日
- 登録日時
- 2009/03/03 16:40
- 更新日時
- 2009/03/05 13:20
- 管理番号
- 山形県-2007-0069
- 質問
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解決
「寺島成信」について調べています。山形県庄内地方に明治の始めに生まれ、慶應義塾を卒業後、海軍に文官として数年務め、その後、日本郵船の幹部社員となり、大正時代に日本で初めての経済学博士号を取得した人物です。
1.山形県人の列伝などに、彼の名前が出てこないか。
2.特に、上京するまでの成長時代について地元の著作物に記述がないか。
3.死亡年月日は判るか。
4.山形県の新聞に乗った訃報はどのような内容か。
- 回答
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「寺島成信」について、
下記資料①に、生没年(明治2.7.3~昭和14.4.2)や鶴岡生まれで、西田川郡中学校を出て、大山小学校の代用教員となった後、慶応義塾に入る。……とあります。
資料②は、慶応義塾に入るまでの生い立ちについて、かなり詳しく記載されています。
③事前調査内容と同じようなものです。
④は、明治25年当時東京に「荘内館」という同郷の学生寄宿舎の設立に関わったことなどが記載されています。
⑤は、5行程度の概略が記載されてます。
新聞訃報について、昭和14年4月上旬の山形新聞を確認しましたが、掲載されていませんでした。(なお、4月4日は欠号です)
参考に名前の呼び名についてですが、①は(てらしましげのぶ)②は(てらしましげのり)③、④はふりがななし、⑤は(てらじませいしん)と出ております。さらに、②には父親(成則)の呼び名が(しげのり)とあり、成信が明治19年中学を卒業と同時に幼名寛太から正式に成信(しげのり)と名乗ったとあるので、親子で同じ呼び名になった(?)ことになります。いずれにしても、正式な呼び名は不明です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 参考資料
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- ①「庄内人名辞典」同刊行会/S61.11 (K281.03/ショ) P470
- ②「新人国記 名士の少年時代」(東北編)報知新聞社/S5.1 (281/ホウ) P312-321
- ③「山形名家録」同編纂局/大正11.7 (K280.3/コン) P243
- ④「鶴岡市史」下巻 (YK232.1/ツル/3) P80-83
- ⑤「庄内文化芸術名鑑」長南寿一/1982.12 (K281.03/チョ) P186
- キーワード
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- 寺島成信
- 経済学博士
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000052042