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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000051002
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼浦-2008-022
事例作成日
(Creation date)
2008/07/06登録日時
(Registration date)
2009年01月23日 02時10分更新日時
(Last update)
2011年02月18日 15時40分
質問
(Question)
浦和橋はいつ架橋されたのかを知りたい。省線電車(現在の京浜東北線)と旧中山道を立体交差するために造られた陸橋。
回答
(Answer)
正確な架橋年月日は分からなかった。以下に、典拠は不明だが年月について記述のある資料をあげる。
伊豆井敬治「『大宮の道の記』解説-明治初年の浦和・大宮附近(2)」(『埼玉自治 57号』p18-20)
p19に「浦和橋は昭和六年七月に架設されたもので、それ以前は普通の踏切になつていて、両側は松林であつた。」とあるが、典拠は不明。
追記
朝日新聞埼玉版 昭和6年7月19日
「浦和踏切橋完成 二十日開通」という記事で
「さる4年10月起工(略)長さ24メートル、幅8メートル」とあり。(2011/02/18)
回答プロセス
(Answering process)
『浦和市議会史』『浦和市史』『浦和町要覧』(竹園馨 1932.12)を確認したが、該当する記述は見あたらず。
『新編埼玉県史 資料編 22 近代・現代4』p382-390「東北線赤羽・大宮間電化工事概要 昭和七年九月」のp388「赤羽大宮間線路増設工事」によると、「国道中仙道との交叉点に於て線路低下を行ひ、重要踏切の平面交叉を避けたり」とあるが、浦和橋の架設年は記述なし。
『わがまち浦和』p34-35「浦和橋」の項によると、「京浜東北線と旧中山道を立体交差するためにつくった陸橋で、当初はもう少し北側で平面交差しており大踏切と呼ばれていた。列車の通過が増加したため、昭和の初めごろ(中略)今の形に改めた。」とあるが詳細は不明。
小島力「大正末期の浦和」(『うらわ文化 特集 第6号』p3-10)のp3に、「大踏切り」によると、「昭和の初期(昭和ニ、三年頃)中山道の架橋工事が施行され」とあり。
秦野昌明「中山道繁盛記」(『うらわ文化 特集 第14号』p29-46)のp38に、昭和7年の赤羽駅から大宮駅までの省線電車開通に際して架橋された旨の記述あり。p41に、昭和8年6月1日から3日間、浦和橋における一日平均の交通量の記述あり。
「大浦和市全地図 (昭和9)」(『浦和市議会史 下巻後編』付図)に浦和橋が掲載されている。
「東京朝日新聞 埼玉版 昭和5年8月17日」(埼玉県立文書館蔵)に、浦和橋工事中の写真が掲載されている。
「東京朝日新聞 埼玉版 昭和7年9月1日」(埼玉県立文書館蔵)には、浦和橋完成後の写真が掲載されている。竣工はこの間と思われる。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
橋梁工学  (515 9版)
貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション  (090 9版)
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
橋梁-さいたま市-埼玉県-歴史
浦和橋
郷土資料
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000051002解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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