レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年08月15日
- 登録日時
- 2007/10/10 17:45
- 更新日時
- 2008/06/20 12:34
- 管理番号
- ike-200713
- 質問
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池田に伝わる「呉織・漢織(くれはとり・あやはとり)伝説」について
- 回答
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池田には応神天皇のころ、大陸から呉織・漢織の2人の織り姫がこの地に渡り、織物や染色の技術を伝えたという伝説が残っています。
『池田・昔ばなしと年中行事』
『大阪府の民話(県別ふるさとの民話 33)』偕成社 p156~:「星月夜の織姫」
『日本の伝説(第1期)8 大阪の伝説』角川書店 p115~
『池田学講座』池田市教育委員会 p56~:「池田の経塚」(二姫を葬ったと伝えられる姫室・梅室)、p120「クレハトリ・アヤハトリの伝承」などに、呉織・穴織が糸を染めた染殿井、染糸を掛けて干した絹掛松などの伝説について書かれています。
呉織・漢織は古代に中国から渡来した綾織の技術者。呉織は呉服、漢織は穴織とも書きます。「はとり」は機織の意です。(『国史大辞典 4 き‐く』p952 くれはとり・あやはとり)(『日本歴史大辞典 1 あ‐う』p180 あやはとり・くれはとり)
『日本書紀』 「巻第十 誉田天皇(ほむたのすめらみこと)応神(おうじん)天皇」「巻第十四 大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)雄略(ゆうりゃく)天皇」には、この縫工女(きぬぬいめ)招致に関する伝承が収められています。
『国史大辞典 4 き‐く』によると、「ただし、応神紀・雄略紀のこれらの織工女の記事は、同じ内容のものを分けて記したか、あるいは前者は後者の記事の混入ではないか、といわれる。」とあります。
また、『池田市史 概説篇』には次のような記述があります。「呉織・漢織が池田に来て織物技術を伝えたとされていますが、日本書紀にはこのような記述はなく、この伝承がいつ、なぜ、どのようにして誕生したのか、はっきりしたことはわかっていません。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝説.民話[昔話] (388 9版)
- 参考資料
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- 『国史大辞典 4 き‐く』吉川弘文館 1984.2
- 『日本歴史大辞典 1 あ‐う』河出書房新社 1979
- 『池田市史 概説篇』池田市史編纂委員会/編纂 池田市役所 1971
- 『池田・昔ばなしと年中行事』 広報公聴課/編集 池田市役所 1982.2 (児童向き)
- 『まんが池田の歴史』池田市教育委員会 2000.3 (児童向き)
- 『日本書紀 上』井上光貞/監訳 中央公論社 1987.3
- 『定本日本書紀 中巻』丸山林平/編 講談社 1966
- 『日本古典文学大系 67 日本書紀』岩波書店 1967
- 『大阪府の民話(県別ふるさとの民話 33)』日本児童文学者協会/編 偕成社 1982.6
- 『日本の伝説(第1期)8 大阪の伝説』庄野栄二/他著 角川書店 1976.7
- 『池田学講座』池田市教育委員会/著発行 2008.2
- キーワード
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- 池田-伝説
- 呉織 漢織 (くれはとり あやはとり)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 小中学生
- 登録番号
- 1000038056