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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000032223
提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)管理番号
(Control number)
M06091211054081
事例作成日
(Creation date)
2006/09/12登録日時
(Registration date)
2006年12月08日 02時12分更新日時
(Last update)
2018年03月25日 00時30分
質問
(Question)
楯築神社について知りたい。
回答
(Answer)
倉敷矢部片岡山にあった神社。神社跡地には巨石が立ち並び、線刻のある石がご神体とされている。この様子は『楯築遺跡』で見ることができる。『都窪郡誌』に掲載されている「縁起書」によれば巨石には火籏根、馬盥石、馬立石、矢隠石、矢落石などの呼称があり、ご神体は白頂馬竜神と称されたとする。『楯築弥生墳丘墓の研究』によれば、1909(明治42)年鯉喰神社に合祀、社殿は解体されたが、ご神体は故あって1916(大正5)年に当地に戻された。ご神体は地元では「亀石」、考古学研究者では「弧帯石」と呼ばれており、弥生時代のものである。神社の記録は江戸前期にさかのぼる。『庄村誌』によれば神社中興の建立に関する文書が残っており、それに基づけば初めは西山宮であったが、天和年間に社殿を造営した際、伝承にちなんで楯築神社に改名したとし、「縁起書」もこの頃に作製されたと推定している。祭神は片岡多計留命(たけるのみこと)で、神社の地はその墳墓とみなされていた。この片岡多計留命は吉備津彦命の鬼神退治に関わったとされ、日畑西山の産土神としている。片岡山の地名はこの祭神の名前による。江戸中期の『備中集成志』によれば吉備津彦命鬼ノ城鬼神退治の時に楯築は岩をもって楯としたため楯築大明神としたとし、神体は石にて色々の異形の人形を彫った物としている。江戸末期の『備中誌』にも記事があり、近年になって「平石の青く三尺計り有るに足の形の付たるを何れの地よりか捜し出し是を神体とせり」とし、「石はいかにも奇と云へけれ」と書き残している。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
神社.神職  (175 9版)
参考資料
(Reference materials)
庄村誌編纂委員会『庄村誌』倉敷市,1971. 石井了節『備中集成志』吉田書店,1976. 吉田徳太郎編『備中誌』日本文教出版,1961. 近藤義郎『楯築弥生墳丘墓の研究』楯築刊行会,1992. 近藤義郎『楯築遺跡 山陽カラーシリーズ3』山陽新聞社,1980. 近藤義郎『楯築弥生墳丘墓』吉備人出版,2002.都窪郡教育会編『都窪郡誌』都窪郡教育会,1923.
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
M2006091211011254081
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
全年齢
登録番号
(Registration number)
1000032223解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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