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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000032221
提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)管理番号
(Control number)
M06051216552427
事例作成日
(Creation date)
2011/2/16登録日時
(Registration date)
2006年12月08日 02時12分更新日時
(Last update)
2018年03月25日 00時30分
質問
(Question)
神島八十八ヶ所めぐりについて知りたい。
回答
(Answer)
神島及び笠岡の史誌、観光案内などに資料が見いだせた。それによれば神島にある八十八ヶ所の呼称は諸資料によって異なり、神島八十八ヶ所、神島四国八十八ヶ所、神島霊場八十八ヶ所、神島四国霊場などと呼ばれている。神島の八十八ヶ所の成立は1745(延享2)年の「神島四国巡礼記」及び1789(寛政元)年の「今田慧弦五輪塔」の刻文に詳しく、『神島巡遊案内』『神島史誌』『ふるさとを語ろう』『神島八十八ヶ所 ~拓本散策~』に掲載されている。それによれば、今田慧弦(俗名卯兵衛)という人が、同じ志を持つ神島の十郎兵衛とともに、1743(寛保3)年春から巡礼地に安置する石仏の作成をすすめ、翌1744(永享元)年に完成させたという。また『神島八十八ヵ所めぐり』『神島八十八ヵ所 観光散策路』『ふるさとを語ろう』『神島史誌』では今田慧弦は肉親の死を契機に四国巡礼を行い、やがて神島を四国にみたてた霊場建設を発起したという。彼は前述の池田重(十)郎兵衛と再度四国霊場を巡り、各札所の土を持ち帰る。その土を神島の各札所に埋め、その上に石仏を置いたという。整備には1740(元文5)年~1744(永享元)年の5年間を費やしたと伝えられている。遍路などの習俗は『ふるさとを語ろう』『神島回顧』などに記述があり、八十八ヶ所の行程は俗に「七里八丁」といわれ、全行程で約29㎞、通常一泊二日程度の巡礼である。現在も多くの人々が巡礼に訪れており、『神島八十八ヵ所めぐり』『神島八十八ヵ所 観光散策路』によれば毎月の旧暦21日の縁日には神島へんろ会館で法要が営まれ、接待も行われている。なお概説的なものとして霊場を検索すると『備中の霊場めぐり』の中に本霊場が見いだせる他、八十八ヵ所で検索した『地場大師八十八ヵ所調査報告書』の考察からは県内でも有数の歴史をもつ霊場であることもわかる。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
仏教  (180 9版)
参考資料
(Reference materials)
片山市太郎『神島巡遊案内』日光寺景勝保存会,1929,74p.
小田郡教育会編『増訂追補 小田郡誌 上巻』小田郡教育会,1941,667p.
笠岡青年会議所広報委員会編『ふるさとを語ろう』笠岡青年会議所広報委員会,1974,131p.
伴芳子『神島回顧』1980,114p.
岡山市大内田周辺民俗文化財調査委員会編『地場大師八十八ヵ所調査報告書』岡山市大内田周辺民俗文化財調査委員会,1981,186p.
伴芳子『続神島回顧』1984,137p.
広沢澄郎編『神島史誌』神島協議会,1985,511p.
坂本亜紀児『神島八十八ヶ所 ~拓本散策~』日本文教出版,2005,156p.
川端定三郎『備中の霊場めぐり 岡山文庫』日本文教出版,1993,172p.
『神島八十八ヵ所めぐり』、『神島八十八ヵ所 観光散策路』笠岡市商工観光課.
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
M2006051216502352427
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
全年齢
登録番号
(Registration number)
1000032221解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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