オランダ通りがある岡山市表町に関する資料『岡山表町飛翔記』及び表町の開発計画を記す『商業近代化地域計画報告書』によれば、オランダ通りは 江戸時代長崎県出島のオランダ商館医であったドイツ人医師シーボルトと楠本お滝との間で生まれた娘、楠本イネ(俗にオランダおいね)にちなんで名付けられた。 楠本イネについては『岡山県歴史人物事典』に記事があり、また石井宗謙との関係で『勝山が生んだ人物略伝』などにも記述がある。それによればイネはシーボルトの教えを受けた蘭学者たちの支援を受けて長崎で成長し、19歳になると、現在の岡山市内に移り住み、シーボルトに学んだ石井宗謙のもとで産科医を学び始めた。この間6年あまり岡山で過ごす。この石井宗謙の居宅があった通りがこのオランダ通りであった。やがてイネは石井宗謙との間で子どもをもうける。しかし、この妊娠は本人の意志ではなかったようで、身重にもかかわらず、直後に岡山を離れ、故郷の長崎に帰っている。彼女はその後、開国後来日した父シーボルトと再会を果たすとともに、明治になると東京に移住、産科医として活躍した。この楠本いねについては司馬遼太郎『花神』でも取り上げられている。 一方、商店街の再開発については『商業近代化地域計画報告書』で様子が分かる。それによれば表町商店街は1970年代から再開発の議論が頻繁に行われるようになっていた。そのような中、岡山地域商業近代化委員会によって出された1986(昭和61)年の「商業近代化地域計画報告書」で、オランダおいねにちなんで、オランダというテーマで町を再開発する計画が示される。ちなみに議論が行われていた1970年代後半の77(昭和52)年には『花神』がNHK大河ドラマに取り上げられている。 計画でのオランダ通りのテーマは「オランダを感じさせ、人々が集い親しめるまちづくり」で、通りを北から南へ「芸術」「ファッション」「大衆」「庶民」性のある四つのゾーンに分けて整備を行うことになっていた。そして実際の整備は『岡山表町飛翔記』に記事があり、1990(平成2)年のオランダ風の外壁を持った「エターフェビル」の完成などを経て、1999(平成11)年の「オランダ東通り」の完成で終了している。