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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000032185
提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)管理番号
(Control number)
M06071212153288
事例作成日
(Creation date)
2006/06/18登録日時
(Registration date)
2006年12月08日 02時11分更新日時
(Last update)
2018年12月05日 00時30分
質問
(Question)
第二次世界大戦中にチェコでナチスドイツによる大量虐殺があったという。その経緯や被害状況について知りたい。
回答
(Answer)
『20世紀世界紛争事典』(三省堂)のチェコの項(p881)に「リディツェ虐殺」、内容は「1942年6月9~10日,ドイツ軍の支配下のリディツェ村で村民の虐殺事件が起きた」とある。『野の花は生きる-リディツェと広島の花たち』の冒頭(p11-19参照)の説明は以下のようなものである。 1942年の5月27日、プラハの街でナチの親衛隊長総督代行のラインハルト・ハイドリヒが暗殺者に襲われ、数日後に死亡した。ドイツ占領軍は犯人の探索を試みたが、首謀者の特定までには至らず、同年6月10日、ナチの親衛隊たちは、リディツェを暗殺者を匿った村として罪をきせ、反逆者のみせしめに村の15歳以上の男たちを次々に連れ出し、銃殺していった。一方、15歳以上の女性は強制収容所で働かせるため、村の惨劇を知らぬまま連行され、労働力のない子どもたちは親からの離散を余儀なくされ、国外へと連れ出された。無人と化したリディツェ村は金品が奪われ、家々が壊された後、すべてが焼き払われた。ナチスは自国の青年を「教育する」参考資料としてリディツェ村が消滅する様子を2年間フィルムに記録し続けたという。犠牲者の数は男性(15歳以上)173人(p15参照)、強制収容所へ連行された女性(15歳以上)は203人、うち60人がガス室へ。国外に連れて行かれた15歳以下の子ども105人、うち89人がガス室へ。(p30参照) なお、リディツェ村がハイドリヒ暗殺の報復対象となった理由について『プラハは忘れない』(草の根出版会)のp48に「リディツェ村に、その的がしぼられたのは、たまたま一軒の農家ホラーク氏が三年前から行方不明で、どうやらイギリス空軍に参加しているとなったから」という説明がなされている。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
ドイツ.中欧  (234 9版)
参考資料
(Reference materials)
浦野起央編『20世紀世界紛争事典』東京 三省堂,2000,1533p.参照はp881. いぬいとみこ文『野の花は生きる』東京 童心社,1972,109p.参照はp11-19,p30. 早乙女勝元編『プラハは忘れない』東京 草の根出版会,1996,135p.参照はp48.
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
M2006071212190753288
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
全年齢, 高校生, 中学生
登録番号
(Registration number)
1000032185解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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