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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000031145
提供館
(Library)
鎌倉市中央図書館 (2310107)管理番号
(Control number)
鎌中-K-20060003
事例作成日
(Creation date)
2006年10月01日登録日時
(Registration date)
2006年10月19日 09時52分更新日時
(Last update)
2017年03月16日 18時15分
質問
(Question)
源頼朝の家紋は何か。
回答
(Answer)
頼朝個人は家紋を使用していなかったと見るのが妥当。
回答プロセス
(Answering process)
家紋の本を見る。
『家紋事典』に
「頼朝は…実朝が害されて正統は絶えた。いずれも家紋を用いることなく終わっている。」「源氏は竜胆紋とよくいうが、これらの家紋を使用したのは…公家源氏であって…武家個人とは別個のもの」という記載がある。

源氏は竜胆紋といわれているらしいが、頼朝は使用しなかったのか?別の資料を見る。

『歴史と旅 家紋と苗字で家系探索』
竜胆紋について 「源頼朝は竜胆との縁が深く今も鎌倉市では市章に竜胆を用いているが、頼朝自身は源氏の棟梁として存在していたのであって、家紋があったわけではない。木曽氏が竜胆を用いたのも少し後のことである。しかし竜胆がこの二氏に極めて関係が深いので、源氏の氏紋で、代表家紋と見ている人もいる」

鎌倉市の市章については、
『鎌倉市勢要覧 昭和27年版』 「本市市章は「ささりんどう」を紋としたもので、一説には鎌倉源氏の紋所がこれであったともいわれ、(中略)源氏二代将軍の子、一幡君の紋が「ささりんどう」であったという。
『図説鎌倉年表』「沼田頼輔の「要綱日本紋章学」によると、(ささりんどうを)家紋として使用したのは鎌倉時代の初期、村上源氏であって、清和源氏の家紋ではない。」

 頼朝は清和源氏である。

 結果として、頼朝は家紋を使用していなかったと見るのが妥当ではないか。

※2017年3月追記
『中世の武家と公家の「家」』(菅原正子 吉川弘文館) 第一部第二章 鎌倉時代の旗と武士の「家」の中に「源氏・平氏・諸武士の旗」という項がある。
これによると「源頼朝の旗は白旗であった」(P16)、「鎌倉初期においては家紋はまだ存在しなかったといえる」(P23)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
『家紋事典』 大隈三好 金園社 1979 【288.6】
『歴史と旅 家紋と苗字で家系探索』 秋田書店 1998 【R 288.6】
『鎌倉市勢要覧 昭和27年版』 鎌倉市役所 1952 【K1 318.5】
『図説鎌倉年表』鎌倉市 1988 【213.7】
『中世の武家と公家の「家」』 菅原正子 吉川弘文館 2007 【K 361.6】
キーワード
(Keywords)
源頼朝
家紋
市章
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000031145解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決