レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年3月1日
- 登録日時
- 2006/08/30 14:07
- 更新日時
- 2006/09/01 14:05
- 管理番号
- 堺―2006-001
- 質問
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解決
中世堺の自治組織である「会合衆(えごうしゅう)」は三十六人衆ともいわれているとのことだが、そのメンバーの名前を知りたい。
- 回答
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会合衆三十六人とあるのは、町々の発展に応じて、堺のまちの公的な運営組織が発展したことによる誤解で、基本的に会合衆は十人であった。
たとえば、織田政権成立後の1574年(天正2)、信長が堺の有力者十人を招き、京都相国寺で茶会を催した際、紅屋宗陽・塩屋宗悦・今井宗久・茜屋宗左・山上宗二・松江隆仙・高三隆世・千宗易(利休)・油屋常琢・津田宗及が名を連ねており、これが当時の会合衆であると考えられている。
なお最近では、「会合衆」は従来一般に使われてきた「えごうしゅう」と読むのは誤りであり、「かいごうしゅう」と読むのが正しいとされてきている。
- 回答プロセス
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『堺の歴史』(角川書店)p.92では「これまでは、会合衆は16世紀には36人になったと考え、いろいろと説明がこころみられてきたが、無理があるように思われる。会合衆は終始10人であったとみる方が合理的である。」と述べ、回答の十名を紹介している。
小西瑞恵『中世都市共同体の研究』p.100では、豊田武『堺』で「会合」を「えごう」と読むのが本当であろうとしたことを批判し、諸史料から「かいごう」と読むのが正しいとしている。さらに小西氏は「中世の堺商人」において、高校日本史教科書でも会合衆のルビを「かいごうしゅう(えごうしゅう)」とするなど、一般に認知されてきているとしている。
- 事前調査事項
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『国史大辞典』2(吉川弘文館,1980年)p.259の「えごうしゅう 会合衆」の項目参照。
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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豊田武『堺』(至文堂,1957年)
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泉澄一『堺』(教育社,1981年)
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柿崎文雄「室町期における堺会合衆の構成に関する一考察」(『比較都市史研究』第1巻第2号,比較都市史研究会1982年)
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朝尾直弘ほか『堺の歴史』(角川書店,1999年)
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小西瑞恵『中世都市共同体の研究』(思文閣出版,2000年)
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小西瑞恵「中世の堺商人」(『大阪女子大学上方文化研究センター研究年報』第5号2004年)
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豊田武『堺』(至文堂,1957年)
- キーワード
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- 自治都市
- 会合衆
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000030259