レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年02月02日
- 登録日時
- 2022/06/28 10:06
- 更新日時
- 2022/06/28 13:13
- 管理番号
- 福島地域0389
- 質問
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未解決
福島県で建設された海軍の軍用航空基地である郡山航空基地などについて(そのほか、第二、第三郡山航空基地があると思います)、その建設の経緯(計画の作成、用地取得、建設着工、完成など)について記述された文献や論文などはありますか。
- 回答
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お問い合わせいただきました件についてお調べしたところ、計画の作成、用地取得、建設着工、完成等について、詳細に記載のある資料は見つかりませんでした。下記は、郡山航空基地について簡潔に記載のあった資料です。
『郡山市史 第5巻 近代』 郡山市 1971 ※国立国会図書館デジタルコレクション送信参加館公開資料(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9569417)
p472-473 「海軍航空隊の設置」の経緯や工事について記載あり。
『郡山市史 別巻 町村史・索引・年表・総目録』 郡山市 1975 ※国立国会図書館デジタルコレクション送信参加館公開資料(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9569420)
p403-404 「飛行場建設」に第三海軍航空隊についての記載あり。
「郡山第三海軍航空隊を大槻町に設置することは昭和十七年二月には既に決定されていたが、軍の機密として町民には知らされなかったのである。」
「(前略)昭和十九年十一月に起工式が行われて飛行場建設が開始された。」
「八月十五日、終戦となり、飛行場建設も未完成のまま終ったのである。」
総目録p152 年表「昭和16 1941(7.-)海軍省調査の結果、郡山市周辺が海軍航空隊建設に適地との結論が出る。」「昭和17 1942(2.-)大槻町・守山町・高瀬村に海軍飛行場の建設が決定される」
※(7.-)、(2.-)はそれぞれ7月、2月を指していると推測される。
『郡山の歴史』郡山市/[編] 郡山市 1974 ※国立国会図書館デジタルコレクション送信参加館公開資料(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9641133)
p296 「また、十七年から十九年にかけて、守山町の徳定に郡山第一海軍航空隊、高瀬村の金屋に第二航空隊、大槻町の北部に第三航空隊が設置された。第一、第二航空隊の敷地は、二八三町歩に及び、飛行場のほか、格納庫、整備工場、兵舎など数十棟が建てられた。」
p264 白黒写真「海軍航空隊の兵舎(現日本大学工学部)」
*『郡山の歴史』1984に発行のもの(p264-265),2004に発行のもの(p146)にも、上記と同じ文章・写真あり
『郡山の歴史』郡山市/編集 郡山市 2014
p153 「さらに、郡山市は国に海軍航空隊の誘致運動をしていた。海軍省は福島市よりも郡山市が適地との結論を出した。それにより、一九四二年から一九四四年にかけて、徳定に郡山第一海軍航空隊、金屋に第二海軍航空隊、大槻に第三海軍航空隊が設置された」
そのほか、その軍事施設を結ぶ道路について簡潔な記載あり。
p154 「八月九日は、福島県沖に進出してきた大機動部隊からの艦載機によるもので、攻撃の対象は郡山海軍航空隊で、飛行機をはじめ格納庫や倉庫・兵舎が破壊され、金屋村や御館村の民家二〇戸も焼失した。」
『図説郡山・田村の歴史』伊藤 尭信/編,中村 哲郎/編,原 宏/編,柳田 和久/編,渡邉 康芳/監修 郷土出版社 2000
p222 白黒写真「海軍航空隊の兵舎 戦後、日本大学工学部の校舎として使用された。」※『郡山の歴史』と同じ写真
p223 白黒写真「飛行場建設の勤労奉仕 金屋の飛行場建設には、周辺町村から多くの男子が集められた」
p222-223 郡山航空隊について、簡潔な記載あり。金屋の飛行場建設について簡潔な記載あり。
『郡山・田村今昔写真帖』郷土出版社/[編],渡邉 康芳/監修 郷土出版社 2004
p138 白黒写真「日本大学専門部工科」(昭和30年代)※『郡山の歴史』と同じ写真
「郡山市郊外田村郡守山町徳定にあった郡山第一海軍航空隊は、昭和20年8月の爆撃で大部分破壊された。(中略)後者は焼け残った木造旧兵舎をそのまま利用した。」
『語りつたえる郡山の戦争』核兵器廃絶・郡山空襲40周年平和運動実行委員会/編 核兵器廃絶・郡山空襲40周年平和運動実行委員会 1985
p13 郡山海軍航空隊について簡潔な記載あり。
p38 空襲によって郡山海軍航空隊が受けた被害について簡潔な記載あり。
『郡山市田村町歴史年表』吉川 貞司/編著・編集・校正 守山史談会 2009
p170 「一九四二(昭和十七)金屋飛行場が軍令により海軍航空基地となる。金屋、上行合、下行合、小原田地内に逓信省飛行機乗員養成所建設に着手。(後略)」
「一九四三(昭和十八)金屋に造られた飛行場は軍部の命令により、郡山第一・第二海軍航空隊に変る。飛行場は日出山、徳定、金屋の川原一帯に拡張され、そこに整備工場、格納庫、その付属建物のなど数十棟の建築物が立ち並ぶようになった。」
『日本大学工学部史 五十周年記念』日本大学工学部五十周年記念史誌編纂委員会/編 日本大学工学部 1997
p2 「十七年二月には郡山第一海軍航空隊が郡山市郊外の田村郡守山町徳定に約一〇〇ヘクタールをもって設置され、また第二海軍航空隊が隣接の田村郡高瀬村金屋に約一三〇ヘクタールをもって設置された。また別に第三海軍航空隊が安積郡大槻町に設置されることが決まり、十九年からは、それぞれ航空機の整備調整、飛行訓練等が行われた。」
以下、お調べしましたが、郡山航空基地建設の経緯について記載の見つからなかった資料です。
『図説戦時下の福島』福島県立博物館/編 福島県立博物館 1996
『郡山の歴史』郡山市教育委員会/編 郡山市教育委員会 1965
『海軍設営隊の太平洋戦争』佐用 泰司/著 光人社 1996
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000317732