レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/07/30
- 登録日時
- 2021/08/03 00:30
- 更新日時
- 2021/09/24 11:02
- 管理番号
- 10076286
- 質問
-
解決
写真をもとに遺影を描いていた遺影画家という職業について詳しい資料があるか。
事前調査事項に挙げた資料のいずれも、「遺影」そのものや関連する記述はあるが、その作成を生業としている人の職名や内容、或いはその作成に関わる人に関する資料、またはその職業に就いていた人物が書いた資料等については確認できなかった。
- 回答
-
ご照会の「遺影画家」に関して、遺影を専門とする画家、写真をもとに鉛筆画で描かれた遺影に関連すると思われる記載がある資料についてお知らせします。
本事例においては、写真をもとに鉛筆画で描かれた遺影を主な調査対象としています。
遺影画家という名称の記載はありませんが、昭和の初めの北海道では遺影を描く肖像画家がひとつの職業として成立していたということです(資料1)。
岩手県では、地域の死者の肖像をある程度製作していたと考えられる肖山という画家によるもの等、擦筆画の遺影が残されているということです(資料2)。
岩手県遠野の鉛筆画による遺影や、遺影を描いて生活していた画家についての紹介もあります(資料3)。
戦争中の静岡では戦死者の肖像画を描く業者がいたということですが、画家の詳細がわかる記載は見当たりませんでした(資料4)。
戦後においても引き続き遺影肖像画の需要はあったようで、画家の田中一村が依頼を受けて写真をもとにした肖像画を描いていますが、本業ではなく内職としてであったということです(資料5)。
【 】内は国立国会図書館請求記号です。
資料1
奥山淳志 [著]『庭とエスキース』みすず書房, 2019.4【KC742-M7】
* p.38に、本書の被写体である「弁造さん」から聞いた話として、昭和の初めの北海道で、今でいう画家を職業にすることはできなかったが、遺影を描く肖像画家だけは別で、ひとつの職業として成立していたこと、「弁造さん」が写真をもとに写実的に肖像画を描く通信講座ではじめて絵を学んだことが紹介されています。
資料2
山田慎也「近代における遺影の成立と死者表象--岩手県宮守村長泉寺の絵額・遺影奉納を通して (共同研究 民俗学における現代文化研究)」(『国立歴史民俗博物館研究報告』132:2006.3 pp.287-325【Z8-2017】)
* 註12(p.302)に、肖山がこの地域の死者の肖像をある程度製作していたと考えられる、との記載がありますが、肖山の詳細がわかる記載は見当たりません。「長泉寺額一覧」の表(pp.304-310)からは、肖山の画がいずれも擦筆画であることや、肖山が製作した以外にも擦筆画による多くの肖像画があること等がわかります。
* 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリで全文の閲覧が可能です。
http://doi.org/10.15024/00001438
資料3
内藤正敏 著『遠野物語 : 内藤正敏写真集』春秋社, 1983.6【KC726-591】
* 「死者の肖像画」の項(pp.139-142)に、遠野には死者の肖像画を寺院の壁にかけておく風習があること、写実的で立派な油絵の肖像画は旧市内の寺院に多く、山間の寺院に行くほど鉛筆画が多くなること等の説明があります。
同項ではまた、「死者で食って生きていた一群の芸術家たち」として、「美麗」という号の画家や「ヒゲ」とあだ名のある画家について、絵の巧拙により注文の受け方が異なった事等が紹介されています。
* 「死者の章」(pp.59-92)には、遠野の寺院や民家で撮影された遺影肖像画の写真が収録されています。
資料4
静岡県 編『静岡県史 別編 1 (民俗文化史)』静岡県, 1995.3【GC126-E10】
* 昭和19年に戦死した兄弟の遺影の図版(p.670)について、「戦争中には、戦死者の肖像画を描く業者がいて、その業者が兄弟の写真をもとに、描いたものであるという」(p.671)との記載があります。図版では、擦筆画の肖像画に近いように見受けられますが、詳細は確認できませんでした。
資料5
田中一村 [画]『田中一村新たなる全貌』千葉市美術館, 2010.8【KC16-J1537】
* 昭和33年に千葉で描かれた「127 秋元光氏肖像」(図版p.111、作品解説p.273)、奄美で昭和35年に制作された「165 某氏肖像」、同じく奄美で昭和38年に描かれた「166 保氏肖像」(いずれも図版はp.163、作品解説はp.278)が収録されています。3点とも写真をもとに鉛筆で細密に描かれたうえに淡彩が施された肖像画です。「一村はそのような肖像画を内職としていた」(p.273)ということです。
[主な調査済み資料・ウェブサイト]
平瀬礼太 著『“肖像”文化考』春秋社, 2014.8【K231-L15】
* 明治になって肖像制作を生業にする人々が現れたこと(p.165)、1904年には素人でも肖像画を描ける技法を紹介した書籍が刊行され、肖像需要の高まりが感じられること(p.178)等、肖像画家や肖像画について様々に紹介されています。
小松重太郎 著『肖像画自在』盛文堂, 明37【94-210】
* 【K231-L15】で1904年刊行の技法書として紹介されています。
* 国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開しています。
倉田白羊 著『洋画の手ほどき』三楽社, 明44.5【335-211】
* 「日本では肖像畫と云ふものが畫家の生活費を助ける内職の樣に解釋して居る人が多いのは妙な次第」(pp.14-15、28-29コマ)との記載があり、【K231-L15】で紹介されています。
* 国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開しています。
安藤翠峰 述『擦筆肖像画描法』関西肖像画研究所, 大正10【393-305】
* 「寫眞と寸分變らない良く似た繪が描る」(pp.1-2、3-4コマ)、「需要が多くて畫手の少い今日職業として有望」(p.2、4コマ)等の記載があります。また、「當研究所雜則」(36コマ)に「會員ハ習作シタル肖像畫ヲ批評添削ノ爲メ提出スルコトヲ得」とあります。
* 国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開しています。
池上良正 [ほか]著, 国立歴史民俗博物館 編『異界談義』角川書店, 2002.7【GD38-H6】
* 「第一章 異界万華鏡」の「第二節 亡き人を想う―遺影の誕生 山田慎也」(pp.33-47)に、一般の人が遺影をどのように用いはじめたかについてはまだ明確ではなく、全国的にみると地域ごとにさまざまな展開があったと考えられるとの記載があるほか、興味深い展開として岩手県中央部の例が紹介されています。
山田慎也 著『現代日本の死と葬儀 : 葬祭業の展開と死生観の変容』東京大学出版会, 2007.9【GD24-H55】
* 「第1章 共同体の中の死と葬儀―新潟県佐渡市関の葬儀から」(pp.39-88)の第2節の「3 具体的な死の準備」(pp.78-79)に、「画家が村の家々を回り、肖像画を描いて額にしておいた」との記載がありますが、肖像画と画家の詳細は不明です。
山本 祐策「祭具としての遺影の作成と承継ならびに働き」(『八代学院大学紀要』(通号 32・33) 1988.12 pp.15-26【Z22-673】)
* 昭和18年に亡くなった人物について、10年後に故人の写真をみせて画家に肖像画を依頼したという兵庫県での事例が紹介されていますが(p.17)、肖像画と画家の詳細は不明です。
* 国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館送信参加館内公開)
小磯良平 [画], 神戸市立小磯記念美術館 編『没後30年小磯良平展 : 西洋への憧れと挑戦』神戸市立小磯記念美術館, 2018.9【KC16-L3172】
* p.85に1944年の油彩画「故谷川大尉像」の図版と説明が掲載されています。谷川大尉は大阪での陸軍初の特攻隊員で、大阪市の関係者から小磯に肖像画制作の依頼があり、写真をもとに描かれたということです。
* 谷川大尉の肖像画については、廣田生馬「小磯良平が描いた歴史画としての戦争画」(pp.142-147)においても言及されています。
「肖像画一筋、104歳の生涯 浜北の山田喜重さん 息子・孫、同じ道に /静岡県」(『朝日新聞』2015年3月27日 朝刊 遠州・2地方 28ページ)
* 「戦後、30代半ばで農業をしながらアトリエを開くと、戦地で息子を失った母親らが息子の肖像画を頼みに相次いで訪ねてきた。」等の記載があります。モノクロの作品写真も掲載されていますが、鉛筆画ではなく油彩画のように見受けられます。
* 聞蔵IIビジュアル(当館契約データベース)で確認しています。
木下直之 著『美術という見世物 : 油絵茶屋の時代』平凡社, 1993.6【K97-E7】
* 高橋由一が、肖像を伝えるためには色褪せやすい写真より油絵が適していると主張し、肖像画の普及に力を注いだことが紹介されています。ただ、画家の数、油絵の値段から庶民に浸透はせず、日清戦争、日露戦争の頃には写真や写真をもとにした肖像画が座敷に飾られるようになったということです(pp.208-212)。
矢野敬一 著『慰霊・追悼・顕彰の近代』吉川弘文館, 2006.3【GD24-H39】
* 巻末索引に「遺影」の項があります。
山田 慎也「遺影と死者の人格 : 葬儀写真集における肖像写真の扱いを通して (身体と人格をめぐる言説と実践)」(『国立歴史民俗博物館研究報告』169:2011.11 pp. 137-166【Z8-2017】)
* 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリで全文の閲覧が可能です。
http://doi.org/10.15024/00001956
瓜生 大輔「変わりゆく遺影の意義とデザイン : 絵画、写真、デジタル」(『宗教研究』89:2016Suppl pp.339-340)
* J-STAGEで全文の閲覧が可能です。
https://doi.org/10.20716/rsjars.89.Suppl_339
佐藤 守弘「遺影と擬写真 : アイコンとインデックスの錯綜」(『美学芸術学論集』(9):2013 pp.54-64【Z71-S113】)
* 神戸大学学術成果リポジトリで全文の閲覧が可能です。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81004881
ウェブサイトの最終アクセスは2021年7月28日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
『民俗小事典死と葬送』
『弔いの文化史』
『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』
『近代日本職業事典』
レファレンス協同データベース( https://crd.ndl.go.jp/reference/ )
CiNii等
- NDC
-
- 絵画 (720 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000302603