1.「聖駕駐蹕記念碑」について
以下の資料に記述を確認しました。
・『栃木縣史 第16巻(皇族編・系圓編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
p.232 〇栃木城内 聖駕駐蹕記念碑 栃木城内の御野立所
・『栃木市史 史料編 近現代1』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1981)
p.467「皇族 伏見宮貞愛親王殿下 町名:大字栃木城内 舎主氏名:金物商望月磯平別荘 備考:御見合セニナリタルヲ以テ十一月十六日ヨリ十八日マデ皇太子殿下久邇宮殿下李王世子殿下ノ御休憩所ニ充テラレタリ」
2.「聖駕駐蹕記念之碑」について
以下の資料に記述を確認しました。
・『栃木縣史 第16巻(皇族編・系圓編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
p.233 〇栃木第二尋常高等小學校庭 聖駕駐蹕記念之碑
・『現代之栃木』(松下吉衛/編著 栃木商業会議所 1911)
p11-12「住民 三、教育」の項に「◎町立栃木第二尋常小學校」について「尚校庭に御臨幸記念碑あり。」との記述があります。
次に、栃木第二尋常高等小學校の所在地についてお調べしました。
以下の資料から当時の小学校の所在地が確認できました。
・『栃木県教育史 3巻』(栃木県教育史編纂会/編 栃木県連合教育会 1957)
p.454 第二章 小学校沿革史「栃木市立第二小学校」の項に
所在地:栃木県入舟町二番地
沿革:「栃木尋常小学校から分離し…明治四十五年四月 栃木第二尋常高等小学校と称す…」とあります。
・『明治大正日本都市地図集成』(地図資料編纂会/編 柏書房 1986)
p.62に明治39年10月の栃木町の地図が掲載されています。
地図内に「栃木第二尋常小學校」を確認しました。
番地番号の表記までは確認できませんでした。
上記資料の情報を元に『ゼンリン住宅地図 栃木市1(栃木) 201710』を確認したところ、「栃木第二尋常小學校」の位置には現在「栃木市立栃木中央小学校」があります。
栃木市立栃木中央小学校ホームページの学校概要によると、「栃木第二尋常小學校」が何度かの名称変更や合併をしたのち、2010(平成22)年に「栃木市立栃木中央小学校」になったとのことです。
・『学校概要』(栃木市立栃木中央小学校ホームページ)
http://tm2.tcn.ed.jp/tochigi-chuo/about/?action=common_download_main&upload_id=4978(最終確認日:2018年4月19日)
3.その他
「聖駕駐蹕」が「天子が行幸の途中、一時乗り物をとめること」であることから、大正天皇の行幸等に関する資料をお調べしましたが、石碑に関連する記述は確認できませんでした。
・『大正天皇 一躍五大洲を雄飛す』(F.R.ディキンソン/著 ミネルヴァ書房
2009)
・『大正天皇』(古川隆久/著 吉川弘文館 2007)
・『皇室事典』(皇室事典編集委員会/編著 角川学芸出版 2009)
・『大正七年陸軍特別大演習記録』(下都賀郡栃木町役場 1919)
p26-27「一、皇族御旅館外國武官及陪観者統監部付員ノ宿舎」に「皇族御旅館」の項があります。
こちらは、先に紹介した『栃木市史 史料編 近現代1』と同じ内容です。
・『下都賀郡小志 : 特別大演習記念』(栃木県下都賀郡 編 栃木県下都賀郡 1918)
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953205(インターネット公開)
以下の資料からは、記述は確認できませんでした。
・『栃木のいしぶみ』(海老根功/著 栃木県護国神社 1986)
・『栃木市野仏の風景』(中島昭/著 中島昭 1992)
・『目で見る栃木・小山・下都賀の100年』(小森谷昭平/〔ほか〕編集 郷土出版社 2000)
・『下野の板碑 下野板碑年表解説』(今立鉄雄/編 東京史蹟めぐりの会 1971)
・『栃木市指定文化財要覧』(栃木市文化財保護審議会/〔編〕 栃木市文化財保護審議会 1977)
・『栃木市史 史料編 近現代2』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1983)
・『栃木の町並み景観 平成17年観光資源保護調査』(日本ナショナルトラスト/編 日本ナショナルトラスト 2006)
・『栃木県の近代化遺産』(栃木県教育委員会文化財課/編 栃木県教育委員会文化財課 2003)