レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/03/07
- 登録日時
- 2019/04/04 00:30
- 更新日時
- 2019/04/06 00:30
- 管理番号
- 6001037558
- 質問
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解決
「なにわ」の語源の一説に「魚庭(なにわ)」があると広辞苑にある。この説の出典について知りたい。
- 回答
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「魚庭」について記述があったのは、次の資料です。
・『日本古語大辞典 語誌篇』(松岡静雄/著 刀江書院 1929)
p.945に「ナニハ(浪速、浪華、難波)」の項があり、「義」(=各語の語義及伝義、転用)として、以下のように記述されています。
「ナ(魚)ニハ(庭)の意。魚の多い海面なるが故に名を負うたのであらう。
海面をもニハといふことは万葉集第三巻[388]に「あへてこぎ出てむニハも静けし」とある古歌によっても明である。―ナニハと称へるのは今の大阪ばかりであるが、ナバと約せられては播磨、讃岐、土佐等の地名に残って居る。」
これ以外に、魚庭説について言及した文献をご紹介します。
・『日本古代王権試論-古代韓国との関連を中心に』(大和岩雄/著 名著出版 1981.4)
「アマテラスの原像-難波の闘鶏野について-」の章(p.179-199)に「難波地名考」の節があり(p.186-190)、以下の記述があります。
日本書紀の浪速(ナミハヤ)説について「松岡静雄氏は、「一、潮と波は同義語ではない。二、華をハヤと訓むことは出来ず、潮の急速なることを浪華とはいへぬ。三、大阪湾奥は決して潮(波)の特に早かるべき地ではない。要するに此の伝説は浪速といふ文字について案出せられたもので信ずるに足らぬ」とする。」
「松岡静雄氏は、「ナ(魚)ニハ(庭)の意、魚の多い海面なるが故に名を負うたのであろう」とする。この魚庭説は昭和四年に発表されている。それを天坊幸彦氏の『上代浪華の歴史地理的研究』(昭和二十二年刊)では、あたかも自説の如く書いている。」(いずれもp.189)
・『大阪ことば事典』(牧村史陽/編 講談社 2004.11)
p.517 「ナニワ」の項目に、次の記述があります。
「ナニワのナは、菜・魚のナであって、食料品を意味する語である(納屋は、菜を入れる小屋、即ち食料を貯蔵するところ)。ニワは庭、広い場所。すなわち、ナニワとは、食料品の豊富にあるところ、あるいは、サカナのたくさん漁れる海面(漁場)のことになる。」
「これは早く明治時代に松岡静雄が称え、魚澄惣五郎もその支持者であるが、ナミハヤ説よりは穏当と考えられる。」
・『古代地名語源辞典』(楠原佑介/[ほか]編著 東京堂出版 1981.9)
p.230-231 「なには(難波)」の項目
「「魚(な)・庭(には)」つまり「好漁場」説(天坊幸彦)、「波(な)・庭(には)」つまり「海湾」説(松岡静雄)などがある。いずれの説も決定的とはいえないが、風早郡難波郷も海湾に面した地であるため、「海湾」説あたりが一応妥当性があるか。」
と書かれていますが、根拠となる文献は記載されていません。
・『日本歴史地名大系 28‐[1] 大阪府の地名1』(平凡社 1986.2)
p.359 「難波」の項目
「『日本書記』神武天皇即位前紀」の記述を引用し、「潮流が速いので浪速といったというのだが、大阪湾の潮流はそれほど速くないため、この説は信じがたいとする意見が強く、ナニハは魚庭(なにわ)の意で、魚の多い所から生まれた名称とする説が出された」と記載がありますが、誰の説であるかや根拠となる文献は記載されていません。
・『古代歌謡と南島歌謡 歌の源泉を求めて』(谷川健一/著 春風社 2006.2)
『万葉集』巻6[977]の歌に出てくる、「難波の海」の解説として、
p.101 「国学者の松岡静雄は、魚の多い海面だから魚庭(なにわ)という説をとっている。」
という記載があります。
〔事例作成日:2019年3月7日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 語源.意味[語義] (812 10版)
- 参考資料
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- 日本古語大辞典 語誌篇 松岡/静雄∥著 刀江書院 1929
- 日本古代王権試論 大和/岩雄∥著 名著出版 1981.4
- 大阪ことば事典 新版 牧村/史陽∥編 講談社 2004.11
- 古代地名語源辞典 楠原/佑介∥[ほか]編著 東京堂出版 1981.9
- 日本歴史地名大系 28‐[1] 平凡社 1986.2
- 古代歌謡と南島歌謡 谷川/健一∥著 春風社 2006.2
- キーワード
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- 語源(ゴゲン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪,地名・地域
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000254564