レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年03月15日
- 登録日時
- 2018/12/14 17:12
- 更新日時
- 2018/12/14 17:12
- 管理番号
- 2018-0065
- 質問
-
鹿島の在尾山(蟻尾山)が千葉氏に攻められた時、若君は納富分に逃げて殺された後、石碑が建てられ「なきびす観音」と呼ばれるようになり、姫君は嬉野方向に逃げ、殺された後「みどり」という石碑が建てられたと思うが、そのことについて書かれた本はあるか。
- 回答
-
『鹿島市史 上巻』 鹿島市史編纂委員会/編 鹿島市
p.404~407
「みどり」も「なきびす観音(泣子地蔵)」も写真まで掲載されていた。
『藤津鹿島太平記』 川上 茂治 横蔵亭 1991年 p.126
『祐徳稲荷神社社史 乾』 勝屋 弘義/編 祐徳稲荷神社社務所 1941年 p.350
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000248422