レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180630
- 登録日時
- 2018/11/29 00:30
- 更新日時
- 2018/11/29 00:30
- 管理番号
- 福参-1100
- 質問
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解決
平将門は殺害されたらしいが、どのような最期だったのか知りたい。
- 回答
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諸説あり。
参考資料1『平将門の謎』(p.237-238)
「誰の矢があたったのか。おそらく流れ矢であるが、人々はそれを問題とした。
そして誰が将門の首を斬ったか」とあり、下記の記述から諸説あることがわかる。
①貞盛が矢を的中させた
②秀郷の子が矢を的中させた
「秀郷の男、千常は、父が射残した白羽の矢鏑をとりあげ弓につがえて射た。
千常の矢が将門にあたって落馬したので、馳せ寄って将門の頸を斬った」
③神鏑が天から降って将門に的中した
参考資料2『平将門の乱 日本乱史』(p.175-176)
「将門はこめかみよりぞいられけり 俵藤太がはかりごとにて」 という狂歌があるとわかる。
また、「将門には七つの影があって、鉄身の不死身を誇っていたが、これを討とうとした俵藤太秀郷が、
(中略)将門のこめかみだけは生ま身であると知って、これを射たという説話を下じきにした」
という記述がある。
参考資料3『史実 平将門』(p.197-198)
「突然、将門の乗馬に故障が起こり、歩みを弱めたという。強風の吹塵にでも当たったのであろうか。
(中略)どこから飛んできたかわからぬ矢に当たって、将門は落馬したというのである。
伝説では貞盛の矢にあたって落馬し、そこに秀郷がかけつけて首を得たとも、
その逆に秀郷の矢に当たったとも伝えている。
また矢は将門の額に刺さったとも、こめかみに当たったともいうが、細かいことはいずれも後世の伝説である。」
という記述がある。
参考資料4『平将門の乱』(p.151)
「将門の馬が歩みを止めた。その瞬間、一閃の矢が放たれた。
将門に突き刺さり、彼はあっけなく落命した。あまりに突然の最期であった。」
「『扶桑略記』はこの時の模様を次のように記している。貞盛が放った矢が将門に当たると、将門は落馬した。秀郷が馳せ寄り将門の首を取り士卒に持たせると―(省略)」
という記述がある。
参考資料5『将門風土記』(p.124)
「将門の最期は、その後の伝説などによってさまざまに潤色されているが、
『将門記』のいう「神鏑」を放ったのは、貞盛だとされている(『古事談』)。
またその矢は、首にあたり弓手(右目)の眼をつらぬいたという(『将門純友追討軍記』)。
そして落馬したところを、秀郷がかけよって首を切ったという。」
という記述がある。
参考資料6『伝説の将軍藤原秀郷』(p.41)
「貞盛の射た矢をうけて将門が落馬したところに秀郷が馳せ寄って首をあげた。」
という記述がある。
参考資料7『平将門の乱』(p.179)
「『扶桑略記』によるとこの状況は、貞盛の矢にあたって馬から落ち、秀郷がそこに馳せよって将門の頸を斬り、士卒に渡した」
という記述がある。
- 回答プロセス
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自館OPACより、キーワード「平将門」 「平将門の乱」で検索すると、
参考資料が見つかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 1 平将門の謎 木本至/著 日本文華社 1975 281/04/86 p.237-238
- 2 平将門の乱 林 陸朗/[ほか]著 現代思潮社 1975 210/37/6 p.175-176
- 3 史実 平将門 林 陸朗/著 新人物往来社 1975 210/37/S21 p.197-198
- 4 平将門の乱 川尻 秋生/著 吉川弘文館 2007.4 210/37/30 p.151
- 5 将門風土記 柴田 弘武/著 たいまつ社 1976 210/37/S17 p.124
- 6 伝説の将軍藤原秀郷 野口 実/著 吉川弘文館 2001.12 289/16/349 p.41
- 7 平将門の乱 福田 豊彦/著 岩波書店 1981.9 210/37/S10B p.179
- キーワード
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- 平将門 平将門の乱 将門記 死亡 戦死
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000246569