レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/08/11
- 登録日時
- 2018/10/14 00:30
- 更新日時
- 2018/10/14 00:30
- 管理番号
- 6001033746
- 質問
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未解決
教育者として「野球害毒論」を唱えた新渡戸稲造は、野球をした経験があるのか知りたい。
- 回答
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「野球害毒論」「野球有害論」とも呼ばれますが、元々は朝日新聞に掲載された「野球と其害毒」という連載記事で、その第1回目に新渡戸稲造が寄稿しました。その冒頭で自ら野球経験があると述べています。
・『朝日新聞復刻版 [復刻版] 明治編221』 日本図書センター 2002.4
P.230 朝日新聞 東京版 1911年8月29日 朝刊 6ページ 「野球と其害毒」より
「私も日本の野球史以前には自分で球を縫つたり打棒(バット)を作つたりして野球をやつた事もあつた」
また、学校教授時代に野球を推奨し、生徒と共に野球に興じた可能性を示唆する記述があります。
・『新渡戸稲造 さっぽろ文庫』 (札幌市教育委員会/編 北海道新聞社 1985.9)
P.77 私立北鳴学校の教頭時代の新渡戸について「彼の推奨したのは野球とスケートだった。彼はこれらの遊戯を単なる体育とは見ず、果敢なる気力を養い、卑怯と勇壮とを判別するスポーツ精神の養成と考えていた。」
P.105 農学校教授時代の新渡戸について「午後4時には野球の練習のため、しばしば生徒と一緒に野球場へ出かけていった。」
・『新渡戸稲造事典』 (佐藤全弘/著 教文館 2013.10)
P.410 新渡戸稲造年譜より「1891(明治24) この年、新渡戸は学生たちと親しくなるために図書館での仕事を引き受け、野球の練習や冬にはアイススケートなどをした。」
[事例作成日:2018年8月11日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 朝日新聞復刻版 [復刻版] 復刻版 日本図書センター 明治編221 (230)
- 新渡戸稲造 札幌市教育委員会∥編 北海道新聞社 1985.9 (77、105)
- 新渡戸稲造事典 佐藤/全弘∥著 教文館 2013.10 (410)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000243823