レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年08月18日
- 登録日時
- 2018/08/18 14:42
- 更新日時
- 2019/05/04 09:32
- 管理番号
- 20180818-001
- 質問
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未解決
奇兵隊に関する史料が自宅にあり、そこには、奇兵隊が宿泊した寺社の名前や住所、住職や神主の名前が書かれている。戊辰戦争で奇兵隊が新潟か秋田に行った時の駐屯・宿泊の場所を記したものだと思うが、これらの現在の住所や、寺社について知りたい。(史料を自分で書写したものを持参された)。
- 回答
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「向津具(むかつく)」や「日置(へき)」という地名があるが、これはそれぞれ、山口県長門市油谷町の向津具、日置町であると思われる。
「角川日本地名大辞典 山口県」向津具村、向津具八幡宮などp750~75、 日置村、日置八幡宮などp814~816
「油谷町史」(K217.7ユ)によれば、文久三年には萩藩内において正規軍のほかに、農兵隊や奇兵隊などのいわゆる諸隊が存在しており、油谷では農兵隊が組織された。(p317~322)また、持参された史料にあった「向津具八幡宮」「日置八幡宮」の名前が見られた。(p855~876)
同様に「日置町史」にも寺社を紹介した頁(p362~376)と幕末の農兵隊や諸隊について解説した頁(p397~417)があった。
- 回答プロセス
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「角川日本地名大辞典 新潟県」、「角川日本地名大辞典 秋田県」には「向津具」「日置」という地名は記載なし。
「奇兵隊始末記」(K210.5ナ)の年表を見ると慶応4年4月に北越出兵を命ぜられたとあるため、同本や「奇兵隊日記」(k217.7キ)、「防長回転史」(217.7ス)でその頃の記述を見るが、具体的な寺の名前はほとんど記載されていない。また、「向津具」「日置」の地名も見つからない。
山口県には「向津具(むかつく)」や「日置(へき)」という地名があるので、「角川日本地名大辞典 山口県」で確認。
また「油谷町史」(K217.7ユ)に神社・寺院に関するページや、萩藩各地で諸隊が組織されたとの記述がある。同様に「日置町史」にも寺社を解説した頁と幕末の農兵隊や諸隊の概要が記されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 中原 雅夫/著 『奇兵隊始末記』1974 (K210.5ナ)
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 『角川日本地名大辞典 35』1988 (K291.7カ35)
- 日置町史編纂委員会/編 『日置町史』1983 (K217.7ヘ)
- 油谷町史編纂委員会/編 『油谷町史』1996 (K 217.7ユ)
- キーワード
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- 奇兵隊
- 向津具(むかつく)
- 日置(へき)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 次回来館されたら、具体的な寺社の名前から『防長寺社由来 第五巻』(K185ヤ5)や『山口県神社誌』(K 175.9ヤ)を引いて確認すること。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000240892