レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/02/27
- 登録日時
- 2018/04/01 00:30
- 更新日時
- 2018/04/01 00:30
- 管理番号
- 6001030481
- 質問
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解決
カツオは江戸ではとても人気の魚だったそうだが、江戸で流通していたカツオがどのあたりで獲れたのか、また一回にどれぐらい獲れたのかが載っている資料はあるか。
- 回答
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次の資料に、江戸時代にカツオの水揚げがあった地域と、一回にどれぐらい獲れたのかについての記載がありました。
・『日本人と魚:魚食と撈りの歴史』(長崎福三/[著] はる書房 1991.4)
p.136-137
「江戸時代を通じて薩摩、土佐、紀伊、駿河、伊豆と広く漁獲されており、一般の庶民にも親しまれていた。」
「文化九年(一八一二)鰹船が魚河岸に最初にかつおを水揚げしたのは三月二十五日であった。尾数はわずか十七本で、[後略]」
・『鰹節(ものと人間の文化史)』(宮下章/著 法政大学出版局 2000.11)
第9章「江戸っ子の初鰹」
p.284
「初期に初物禁止令の出た当時、すでに鎌倉からの初鰹が江戸へ夜を徹して船で運ばれており、芝浦や日本橋魚河岸の辺の橋上では、夜通しかけて待ちこがれた人々が、帆船で運ばれてくるカツオに、鬼の首を取るほどの喜びを見せている様子が、芭蕉の眼に映じたのである。またこのころ三崎から急走する帆船のほか、鎌倉から早馬で送られるカツオもあった。」
p.291-292
「江戸へ送られたカツオは鎌倉のものばかりではない。森火山は、駕籠に乗って小田原まで初鰹を買いに出た、江戸の通人を描いている。早馬便はともかく、航路によるものは三崎や安房からも送られてきているが、川柳ではカツオは鎌倉からのもの、鎌倉の魚はカツオとなっている。カツオなど生魚の運搬船は押送(おしおくり)船とよばれた。[中略]
相模の海でとれたカツオは百足のようにたくさんの櫓のついた船に積まれ、赤の鉢巻をした漁師によって芝浦をめざしてやっさやっさと掛け声も勇ましく、大急ぎで送られてくる。魚市のある芝浦へは一夜で千本も水揚げされる。」
p.306
「大田蜀山人によれば、文化九年に日本橋魚河岸へ最初に入荷したのは三月二十五日で、一七本のうち六本は将軍家の御買い上げで[後略]」
[事例作成日:2018年2月27日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 漁労.漁業各論 (664 8版)
- 社会.家庭生活の習俗 (384 8版)
- 参考資料
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- 日本人と魚 長崎/福三∥[著] はる書房 1991.4 (136-137)
- 鰹節 宮下/章∥著 法政大学出版局 2000.11 (284,291-292,306)
- http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534277 (国立国会図書館デジタルコレクション - 四時交加 2巻)
- キーワード
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- 鰹(カツオ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000234001