技術の解説、技術確立のための制度、川の難所の解説、伝承など様々な情報を想定して調査しましたが、詳細にまとまった資料は確認できませんでした。
関連情報の掲載を確認した資料は次のとおりです。
・『栃木の水路』(栃木県文化協会/編、発行 1979)
「二章 みちのくと江戸を結ぶ鬼怒川舟運」(p121-176)に、近世期の鬼怒川水運に関するがあり、船頭の生活や航路等に関して記載があります。
(参考)栃木県の舟運の歴史に関する資料
『栃木県史』に次の章があります。
・『栃木県史 通史編4(近世1)』(栃木県史編さん委員会 /編 栃木県 1981)
第四章 都市と交通
第四節 河岸と舟運の展開
一 野州の諸河川 (p.597-607)
下野の河川 元禄三年の「河岸改め」 野州の舟運と境河岸 高瀬船と小鵜飼船
二 鬼怒川舟運の展開 (p.607-627)
鬼怒川舟運の起源 鬼怒川の諸河岸と廻米 阿久津と板戸 宇都宮藩の林産物輸送
板戸河岸と初期の新河岸争論 鬼怒川の船賃 板戸河岸の盛衰 鬼怒川西岸の河岸
・『栃木県史 通史編5(近世2)』(栃木県史編さん委員会 /編 栃木県 1984)
第八章 商品流通の発達と交通運輸
第三節 河岸と舟運の変容
一 鬼怒川の新河岸 (p.347-361)
安永の関東河岸改め 鬼怒川の新河岸 板戸・阿久津両河岸の衰退
寛政期の板戸河岸 上平・船生河岸
・『全国の伝承 江戸時代人づくり風土記9 栃木』(加藤秀俊/[ほか]編 農村漁村文化協会 1989)
「第1章 2 鬼怒川の舟運と筏流し―江戸へ物資を運ぶ一大交通路(塩谷)」(p.35-41)に、舟運が栄えた江戸時代中期(寛永期)から、下火となっていく昭和初期までの歴史がまとめられています。
「鬼怒川の舟運は明治期の鉄道の開設によってじょじょにすたれ、明治四十年(1907)ごろにその姿を見せなくなったといわれます。筏流しは昭和十年代(1935~44)まで続けられたといいます。」(p.41)と記述があります。
その他、確認した資料は以下のとおりです。
・『氏家町史資料集 3』(氏家町教育委員会/編、発行 1976)
阿久津河岸に関する資料です。
・『阿久津河岸』(ミュージアム氏家/制作)
・『鬼怒川・小貝川の舟運再発見』(鬼怒川・小貝川流域を語る会 舟運専門部会/編著 高田印刷 1999)
・『内陸水路の歴史地理学的研究 近世下野国の場合』(奥田久/〔著〕 大明堂 1977)