レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/12/25
- 登録日時
- 2017/12/26 00:30
- 更新日時
- 2018/03/06 16:53
- 管理番号
- 1000000930
- 質問
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解決
琉球の歌人である恩納ナビーの住居跡とお墓の場所が知りたい。
- 回答
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①
『恩納村誌』 (仲松 弥秀編、恩納村役場、1980.3)
p406-412 「第九章 歌舞 二、恩納ナビー」に、p407 「彼女の生まれた恩納では、マッコー屋のナビーといわれている。マッコー屋が彼女の生まれた家か、嫁入先の家かは不明であるが、そのマッコー屋は現在の字恩納二四八八、二四八七番地・・・屋敷跡に廃藩置県の頃に村学校(学校地)が設けられ・・・」とある。
②
『恩納ナビ伝』 (上間 繁市著・刊、1978.8)
p3-4 「マツコウ屋敷跡・・・現在の字恩納二四六八番地の畑・・・」とある。
p4 「・・・墓は、同「ムラ」の俗称デースという名の墓地帯・・・一六六〇年代、中国年号の康熙代の古い墓で、ここでいう模合墓である・・・今は、荒涼したこの墓を管理する人もいなければ、墓参者もいない。」
p9 墓の写真の掲載がある。
p13 ナビ女の屋敷跡、マッコウ屋跡の写真の掲載がある。
③
『恩納ナビー』 (當山安一著、當山安一、1990.3)
p4 生家跡地図がある。(恩納村役場前)
p28 マッコー屋々敷跡の写真がある。
④
『写真集道』 ([字恩納自治会]字誌編集委員会企画・編集、字恩納自治会、2003.3)
p40 「恩納ナビ生誕の地」(マッコウ屋)」の写真あり、「恩納売店から恩納集落へ約100メートル入った所左へ下った教会の下」とある。
⑤
『恩納字誌』 ([恩納]字誌編集発刊事業スタッフ編、字恩納自治会、2007.3)
p34 「8、恩納ナビ生誕屋敷跡」の項に、「生家は恩納間切同ムラのマッコウ屋(屋号)だと言われている。同屋敷は、国道58号線から西側の集落内、恩納公民館近くにある。字恩納2487、2488番地で現在は畑になっている。・・・現在は、屋敷跡に「恩納ナビ生誕の地」の碑が建っている。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 恩納村誌 仲松 弥秀∥編 恩納村役場 1980.3 K21/O66 p407
- 2 恩納ナビ伝 上間 繁市∥著 上間繁市 1978.8 K91/O66 p3-4、9
- 3 『恩納ナビー』 當山 安一∥著 當山安一 1990.3 K911/O66 p4、28
- 4 写真集 道 [字恩納自治会]字誌編集委員会∥企画・編集 字恩納自治会 2003.3 K21/O66 p40
- 5 恩納字誌 [恩納]字誌編集発刊事業スタッフ∥編集 字恩納自治会 2007.3 K21/O66 p34
- キーワード
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- 琉球
- 琉歌
- 歌人
- 恩納ナビー
- 恩納ナビ
- 恩納なべ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000227578