レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年09月11日
- 登録日時
- 2017/09/14 15:34
- 更新日時
- 2017/11/15 15:05
- 管理番号
- 中央ー1-002024
- 質問
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解決
武笠銀之介(小栗上野介忠順の小姓だった人物 武笠銀介とも)について記述のある資料を見たい。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
・『小栗上野介をめぐる秘話』 河野正男 著 群馬出版センター 2000年
p.36~68 第2部 小栗上野介と武笠祐左衛門父子
武笠祐左衛門の子、銀之介についても記述されている。「江戸に残った祐左衛門」、「銀之介と良海和尚」、「銀之介命と小栗又一らの処刑」、「上野介の遺髪、普門院へ」、「小栗処刑を江戸へ伝えた者」、「余話・銀之介の刀」、「銀之介の明治」、「銀之介の父母と永田家」、「小栗屋敷その後」、「〝中原大尽″と銀介の子」の項から成り、武笠銀之介の公卿姿の写真や、武笠銀介晩年の肖像なども掲載されている。
・『埼玉史談 第8巻』(復刻版) 埼玉県郷土文化会 編 国書刊行会 1973年
p.13~22「小栗上野介と普門院」蛭川新、阿部唯一(第八巻 第一号 1936年 p.13~22)
p.17~18 上野介の小姓の武笠銀介が、主人の首を持つて逃げたことなどについて記述あり。
p.245~249「小栗上野介と武笠銀介」都築憲一(第八号 第四号 1937年 p.19~23)
武笠銀之介が、小栗上野介忠順が斬殺された後に母の実家の永田家に身を寄せたことなどを記述した記事。上野介の斬首の行方を推測している。
・『普門院』 早川智明 文・写真 さきたま出版会 1997年
p.14~22 幕末の英傑 小栗上野介
p.17~18に記述あり。
・『普門院とむかしむかし』 普門院 編 1986年
p.12~15 由緒Ⅱ
土屋村の永田家より出た十五才の小姓銀之介が美少年であったこと、上野介斬首の際に自身の斬首を免れたこと、普門院の和尚に主人の首の回向を頼んだことなどが書かれている。
・『大宮市史 第五巻』 大宮市役所 1969年
p.626~628 鼻の銀介さん
武笠銀之助についての記述。幼少の頃小栗上野介忠順の子又一の小姓となり、慶応四年に上野介が斬首された際に少年のため斬首を免れ、後年三室村の村長になったことが書かれている。
・『馬宮のあゆみ』 「馬宮のあゆみ」刊行委員会 1992年
p.156~158 明治の国際人・武笠銀介
小栗上野介処刑後に銀介が母方の永田家にかくまわれたこと、その後三室村で、英語を使うためハイカラ村長さんと呼ばれるようになったことなどが書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
- キーワード
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- 武笠銀之介
- さいたま市西区
- さいたま市大宮区
- さいたま市緑区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000221895