レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年06月16日
- 登録日時
- 2016/11/15 15:28
- 更新日時
- 2016/11/15 15:28
- 管理番号
- POLA-2016-002
- 質問
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口紅の歴史について知りたい
- 回答
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現在の口紅は顔料や染料といった色素を油脂・ロウと混ぜたもの。
■海外
古代
エジプトでは5千年前の口紅が発見されているが、発祥時期は不明。
このほかメソポタミア、インドなど世界各地の文明の発生と同時に化粧も行われていたらしい。
顔料や染料を脂肪や樹脂に混ぜて使っていたと考えられる。
小さな壺などに入れるか、板状のものに塗りつけてそこからスティックや指を使ってさしていた。
中世
紀元2~3世紀ごろになるとキリスト教の影響で化粧に対して批判的に。聖職者が化粧を非難する記録が数多く残っているので、化粧をする人は多かったのだろう。
同時期の中東(パレスチナ)では色に紫系からオレンジ系までバリエーションがあったようだ。
紅は上流階級よりもむしろ売春婦など下層階級の女性のほうが使っていた。
13世紀ごろになると階級に関係なく使われていたようで、土から採った天然顔料をつかって赤い色を出すことが多かった。やはり上流の人のほうが発色のよい高級な材料でつくられたものを使用していた。地域や時代、紅をさした階級によって赤い色調に違いがある。ふっくらと厚い唇が好まれた。
ルネサンス
化粧を公然と行うことが復活。16世紀エリザベス女王の時代になるとますます盛んになる。紅の赤い色を出すのにはコチニールを使用。赤い口紅は白い肌をより白く引き立たせた。
17世紀になると、バラ色の頬と口紅が美しいとされ、下唇は上唇よりもふっくらと丸く描いた。18世紀頃は口紅の原料として人体に有害な金属化合物(水銀や辰砂など)が使われたこともあった。
19世紀後半には、紅皿に入った練り紅、ねじって棒状にした布にカーマインをしみ込ませたクレポン紅、紙製の紅板など様々な種類の紅が登場。
1915年、たばこ「ピース」の現在のデザインの原型をつくったデザイナー(レイモンド・ローウィ)が繰り出し式の口紅の特許を取得した。
■日本
おもな原料はベニバナ。アザミに似た濃い黄色、オレンジ色の花で、エジプト原産。シルクロードを中国を経て日本に入ってきたと考えられている。日本への紹介者は曇徴(日本に紙と墨を伝えた)とも言われている。紅花について、万葉集に沢山の歌が収録されているが、染料(染め物)や化粧でも頬への化粧で口紅への言及はない。
日本での紅花の栽培が始まったのは6世紀後半ごろといわれている(藤ノ木古墳の石棺内に大量のベニバナの花粉あり)。
本格的に、大量の栽培は近世(江戸時代)になってから。
山形県が主な産地で、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途中に俳諧仲間で尾花沢の紅問屋・豪商の鈴木清風の家に世話になっている。つみ取ったベニバナは臼で搗いたあと乾燥させて、江戸や京都へ出荷された。化粧料のほかや染料のほかに、漢方薬としても使用。ベニバナから採れる紅の量は非常に少ない(収量0.3%とも)ので、金の値段にも比べられていた。
江戸の紅問屋「柳屋」は、記録の残る最古の化粧品メーカーで、慶長20年(1615)紅屋として創業している。
約270年間の江戸時代のなかでも紅のつけ方に流行があった。江戸初期には「うすうすとあるべし」とされたが、江戸時代後期、文政頃には「笹色紅・笹紅」が流行。たっぷりと紅をぬると暗い緑色に光る(玉虫色)。天保の改革(1841~43年)の奢侈禁止令の影響で、ふんだんに紅をつけることができなくなるが、かわりに下唇にまず墨を塗り、その上に紅を塗ることで同じ効果が得られた。
このころの紅は紅猪口といって小さな杯の内側にぬりつけた状態で売られていた(乾燥)。使わないときは伏せて、光による退色を防ぐ。このほかに紅皿や携帯用の紅板(板紙にぬりつけたもの)もあった。
明治に入って化粧の世界も洋風化。しかし洋風の化粧をするひとは限られていたので、本格的に口紅の化粧が一般化していくのは大正時代にはいってから。大正期に入るとポイントメイクの一つとして口紅の発売が相次ぐ。国産初のリップスティックは1918(大7 )に中村信陽堂といわれ、舶来のリップスティックをまねて「オペラ(歌劇)口紅」として売り出した。第二次世界大戦下では金属が使えず、木製のリップスティックケースもあった。口紅などを使った華やかな化粧は時節柄ふさわしくないとされ、口紅の使用を控える風潮もあった。
■第二次世界大戦後~60年代にかけて
1955年、キスミー化粧品が化粧持ちのよい「落ちない口紅」を発売。「落ちない口紅」は1990年代にカネボウ化粧品を皮切りに再度各社こぞって発売したアイテム。口紅の新商品を対象に、キャンペーンなども盛んに行われた。
1959年春の「ローマン・ピンク」に続いて口紅の色を主題としたキャンペーンを実施(マックス)
1960年代おわりごろにパール剤など開発、唇につやをあたえる、きらきら光る。
1967年、資生堂「リップ・アートキャンペーン」口紅の上に他の色やパールを重ねることで新しい色を出す。この頃から質感も多彩になり、資生堂・ドルックスの17色のように、1ブランドで多色展開で発売されるようになった。
■現代
1994年と1997年にポーラ文化研究所で行った調査では、約8割の人が毎日、ほぼ毎日口紅をさしているという結果。2007年4月の調査でも、口紅はポイントメイクでトップ。
効果効能を謳った化粧品は1950年代からあり、現在でも紫外線予防や保湿効果を訴求した商品が発売されている。
- 回答プロセス
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歴史のうち、世界はおもに『メークアップの歴史』を、日本は『化粧史文献資料年表』を参照
- 事前調査事項
- NDC
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- 油脂類 (576 9版)
- 参考資料
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- 大百科事典. 平凡社, 1984年. 口紅
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ポーラ文化研究所. 化粧文化 (23). ポーラ文化研究所, 1990-11., ISSN 0388399X
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000307694-00 (富田智子「江戸の紅化粧」) -
Corson, Richard , ポーラ文化研究所 , Corson, Richard , ポーラ文化研究所. メークアップの歴史 : 西洋化粧文化の流れ : 新装版. ポーラ文化研究所, 1993.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045571088-00 , ISBN 4938547031 -
高橋雅夫 著 , 高橋, 雅夫, 1929-. 化粧ものがたり : 赤・白・黒の世界. 雄山閣出版, 1997.
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http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007352685-00 , ISBN 4924989231 -
竹村功 著 , 竹村, 功, 1942-. 化粧品と美容の用語事典. あむすく, 2005.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007665467-00 , ISBN 4900621242 - 冨岡史穂. キラキラくちびるに夢中. 朝日新聞社, 2007年. (日曜ナントカ学) 朝日新聞be on Sunday:Wonder in life 4月29日 p. s1-s2
- キーワード
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- 口紅
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- ラジオインタビュー取材時回答
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000199660