レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/07/14
- 登録日時
- 2016/09/30 00:30
- 更新日時
- 2016/11/25 16:34
- 管理番号
- 所沢吾妻-2016-006
- 質問
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解決
吾妻(埼玉県所沢市)の地名の由来が書いてある本を見たい。
- 回答
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下記の資料に記載があります。
〇『所沢市史 地誌』 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980年
〇『所沢史話』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1974年
〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2006年
〇『郷土あづま』 下田 佐重 著 興文社(有楽堂書店頒布) 1977年
〇『所沢市史調査資料 2』 所沢市史編集委員/編 所沢市史編纂室 1975年
〇『角川日本地名大辞典 11』(埼玉県) 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1980年
- 回答プロセス
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1、所蔵している郷土資料の内容確認
〇『所沢市史 地誌』 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980年
p196、p197に吾妻村について記載あり。「往昔この地方を『吾妻ノ庄』と唱えたという伝承によったもの」とある。
〇『所沢史話』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1974年
p182,p183に吾妻村の歴史についての記載あり。
「新村名は、この地方が昔「吾妻の荘」と云われていたので、その伝承により、吾妻村と命名された」とある。
〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2006年
p174.p175吾妻地区の歴史について記載あり。
「明治24年の北秋津、久米、荒幡の三村合併時に、「往昔この地方を「吾妻ノ庄」と唱え」ていたことから新村名に採用したという」と記載あり。
2、再調査による追加資料
〇『郷土あづま』 下田 佐重 著 興文社(有楽堂書店頒布) 1977年
p11~p34 六 吾妻村誕生までの経緯 に記載あり。
「県の定めた吾妻という命名は、久米正記にある『当所を久米と称するは古しへ久米但馬守住居せしが故に久米郷と唱ふ…又鎌倉二位公の臣武田太郎信茂の領地たり、後久米郷吾妻庄を唱ふ合三村』の文から選んだのであろうか」と記載がある。
〇『所沢市史調査資料 2』 所沢市史編集委員/編 所沢市史編纂室 1975年
p7に記載あり。「吾妻村=昔、この地方を『吾妻の庄』と唱えたという伝承による命名」とある。
3、本館調査による追加資料
〇『角川日本地名大辞典 11』(埼玉県) 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1980年
p78「あづまむら 吾妻村<所沢市>」の項に「村名は古くこのあたりを吾妻荘と称したという伝承による」との記載あり。
【参考情報】
△『ふるさと久米 今と昔』 平塚義角著 所沢郷土美術館 1985年
p2「武蔵国入東郡久米郷旧跡誌」の項に「当所を久米と称するは古しへ久米但馬守住・・・・(居せしが)故に久米郷と唱ふ其邸き地・・(鳩ヶ) 峰より寅の方に当りて・・(但馬) 守の旧跡あり今 -(中略)- 領地あたり後久米郷吾妻庄唱ふ 久米記」の記載あり。
p 13「増補久米郷旧跡誌」の項にも同文あり。
△『大日本地誌大系 14』(新編武蔵風土記稿第8巻) 雄山閣 1996年
p162 「北秋津村 附新田」の項に「北秋津村は河越城の南の方四里を隔つ、江戸よりの里数ほゞ前村に同じ、吾妻庄山田郷に属す、(以下省略)」の記載あり。
4、内容確認をしたが記載のなかった資料
×『新編ところざわ史話』 根岸茂夫[ほか]/執筆 所沢市 1992年
×『わたしたちのあづま』 所沢市立南小学校(旧吾妻小学校)130周年記念事業実行委員会 編 所沢市立南小学校 2004年
×『久米の歴史』 久米の歴史を綴る会/編 久米の歴史を綴る会 2015年
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 風俗史.民俗誌.民族誌 (382 9版)
- 参考資料
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- 所沢市史 地誌 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980.3 213.4
- 所沢史話 内野弘/著 所沢市教育委員会 1974.3 213.4
- ところざわ歴史物語 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2006.3 213.4
- 郷土あづま 下田 佐重 著 興文社(有楽堂書店頒布) 1977 382
- 所沢市史調査資料 2 所沢市史編集委員/編 所沢市史編纂室 1975 213.4
- 角川日本地名大辞典 11 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1980.7 291.033
- キーワード
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- 吾妻
- 三村合併
- 地名
- 由来
- 所沢市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000197518