レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年06月17日
- 登録日時
- 2016/09/05 00:30
- 更新日時
- 2017/01/07 00:30
- 管理番号
- 3A16003624
- 質問
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解決
戦前(昭和20年頃)の助松郊外学園とはどのような施設、建物だったのかを調べたい。出来れば周辺の景観を含めた写真があれば見たい。
- 回答
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以下の資料をご紹介しました。
『消えたわが母校 : なにわの学校物語 続』(赤塚 康雄/著 柘植書房新社, 2000.8)
p.254-259に「大阪市立郊外助松小学校 大阪市立助松養護学校」の項があります。
大阪市立郊外助松小学校は、昭和9年5月「大阪市教育会助松学園」として発足し、昭和14年12月「大阪市立助松郊外学園」に改組され、翌15年1月に開園します。
本項では昭和9年の発足から、昭和42年3月の廃校までの沿革が記載されています。
p.254「大阪市教育会助松学園のころの正門」、p.255「大阪市教育会助松学園時代の学習風景」、p.257「海浜での運動会」、「芋堀り」の写真が掲載されています。
『大阪市学事要覧 昭和15・16年度』(大阪市役所教育部/編 大阪市役所教育部, [1940-1941] )
概説p.2 「2.教育施設」の項に「本市経営の主たるものは、(昭和15年8月現在)…(中略)…助松郊外学園…」とあります。
p.15「郊外学園」の項に、「…助松、淡路の4学園があり」とあります。
p.195-197「B.助松郊外[学]園」の項に、設立年月や在園児童数などの記述があります。
『泉大津市年代記』(西角 桂花/編, 泉大津市立図書館, 1952)
p.304 昭和十四年十二月八日の項に、「大阪市立助松学園を助松に設立、敷地三,六七二坪、建坪九二一坪、収容定員一八二名。」とあります。
この資料は、「国立国会図書館デジタルコレクション」http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2987942 (2016.12.14確認)でも見ることができます。
『昭和大阪市史 第2巻 行政篇』(大阪市役所/編 大阪市役所,1952)
p.245「特殊学校」の項に、助松学園の開園に関する記述があります。
『昭和大阪市史 第6巻 社会篇』(大阪市役所/編 大阪市役所,1953)
p.414-415「五 郊外学園」の項に、助松学園の設立年や定員など記述があります。
『昭和大阪市史 第7巻 文化篇』(大阪市役所/編 大阪市役所, 1953)
p.62に「小国民の健康増進・健民主義の方針の下に、(中略)助松(十五年)(中略)の郊外学園が増設せられ」という記述があり、次の口絵頁には「第三図 助松郊外学園」として、建物の俯瞰、乾布摩擦をする児童の様子、海岸にいる児童の様子の3枚の写真が掲載されています。
『大阪府教育百年史 第1巻 概説編』(大阪府教育委員会, 1973)
p.626-628「一 大阪市の郊外学舎と郊外学園」の項に、「昭和九年五月一〇日泉北大津町の助松海岸に大阪市教育会経営の「助松郊外学園」が開園」、開園式について同年四月十二日『大阪毎日新聞』に掲載された記事の引用があります。また、昭和15年1月8日に「大阪市立助松郊外学園」として虚弱児童の施設となったと記載されています。
p.628-629に「二 大阪市立助松養護学校の足跡」の項では昭和21年10月1日に「大阪市立郊外国民学校助松学園」として転換してから昭和42年3月31日に廃校になるまでの変遷が記されています。
『新修大阪市史 第7巻 近代 3』(新修大阪市史編纂委員会/編 大阪市, 1994.3)
p.933に「昭和十四年六月、(中略)長谷川郊外学園(中略)、翌十五年一月に、泉南の海浜部に助松郊外学園(泉北郡大津町、現泉大津市)が、(中略)相次いで創立された。これら郊外学園はいずれも初等科三年生から六年生を対象に、入園期間三ヵ月、年四交替の寄宿舎制であった」という記述があります。
p.1038に「第一次集団疎開」の項があり、「生野区勝山校は奈良県平群村が指定の疎開地であったが、予定した宿舎に断られたため、大阪市と交渉のうえ、三、五年生は助松郊外学園に、四、六年生は長谷川郊外学園に疎開することになり、」とあります。その他、助松郊外学園以外への疎開についても記載があります。
p.1062「大阪・和歌山からの再疎開」の項に、「「集団疎開地一覧」によると西成区六校と阿倍野区四校がそれぞれ助松・六甲郊外学園に集団疎開を行っている。いずれも本来の疎開地は海草郡・有田郡・那賀郡・和歌山市紀三井寺町であった。防衛上ことに危険地区とされたのである。疎開の時期は四、五月の第二、三次疎開ごろかと思われる。」との記載があります。
p.1065-1066「郊外学園への収容」の項に、戦中の郊外学園への疎開の状況、戦後の戦災孤児の収容についての記述があります。
『新修大阪市史 第8巻 現代 1』 (新修大阪市史編纂委員会/編 大阪市, 1992.3)
p.632-633「郊外学園」の項に、助松郊外学園についての概要の説明があります。
『かつやま : 五十周年記念誌』 (大阪市立勝山小学校創立五十周年記念誌編集部/編 大阪市立勝山小学校創立五十周年記念事業委会,
1977)
p.53-54 卒業生や教諭の対談の中で「助松学園へは3・5年生がいきました」との記述があり、学童疎開についての体験談が記載されています。
『第二次世界大戦後大阪における戦争孤児の生活と教育(上)‐大阪市立郊外学園を中心に‐』(大阪民衆史研究第67号別刷)(赤塚康雄/著 大阪民衆史研究会,2012.12)
p.14-16「(3)大阪市立長谷川・助松両郊外学園の保護孤児数」、p.15に「戦争孤児を収容した大阪市立助松郊外学園跡碑」と題した写真も掲載されています。
『第二次世界大戦後大阪における戦争孤児の生活と教育(下)‐大阪市立郊外学園を中心に‐』(大阪民衆史研究第68号別刷)(赤塚康雄/著 大阪民衆史研究会,2012.12)
p.49-54 第4章第1節及び第2節に助松学園の記述があります。p.51には大阪市立郊外小学校在学児童状況(1947.6.30)の表があり、学園別(長谷川・助松学園)、在学理由別の児童数の記載がされています。
『泉大津市の70年 : かわりゆくふるさと : 泉大津市制施行70周年記念写真集』 ( 泉大津市/編 泉大津市教育委員会/編 泉大津市制施行70周年記念写真集制作委員会/編 2013.3)
p.18に「昭和22年(1947)6月7日助松学園に行幸した昭和天皇」「昭和22年(1947)6月7日助松学園を視察する昭和天皇」と題した写真が掲載されています。
「おおつ物語 戦後70年~戦争の足跡~(3)助松学園①」『広報いずみおおつ』平成27年6月号裏表紙
(http://www.city.izumiotsu.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/48/2706kouhou44.pdf)(2016.12.14確認)
助松学園跡石碑の写真と、助松郊外学園の概要についての記事が掲載されています。
「おおつ物語 戦後70年~戦争の足跡~(4)、助松学園②」『広報いずみおおつ』平成27年7月号裏表紙
(http://www.city.izumiotsu.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/48/2707kouhou44.pdf)(2016.12.14確認)
助松学園を視察される昭和天皇の写真と、助松郊外学園の概要についての記事が掲載されています。
- 回答プロセス
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1. 当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)にて、キーワード“助松郊外学園”でヒットした資料を確認し、資料1が見つかる。
2. 大阪府立中之島図書館「大阪文献データベース」にて、キーワード“助松郊外学園”検索、ヒットなし。“郊外学園”で検索し、資料2,3が見つかる。
3. 『新修大阪市史』の参考文献を確認し、資料4,5が見つかる。
4. 商用データベース「CiNii Articles」にてキーワード“助松学園”でヒット1件。ただし当館所蔵なし。
5. 「国立国会図書館サーチ」にてキーワード“助松郊外学園”ヒットなし。“郊外学園”“助松学園”では有用と思われる資料ヒットせず。
6. 泉大津市関係の資料を確認し、資料6,7が見つかる。
7. 「Google Books」にてキーワード“助松郊外学園”でヒットした資料を確認し、資料8が見つかる。
8. 資料8より助松学園が大阪市立となった昭和15年以降の大阪市学事要覧を確認。資料9が見つかる。
9. 大阪市立中央図書館調査相談室の大阪関連資料を確認し、資料10、11が見つかる。
10. 質問者が既に確認済みの資料の、「集団疎開学童収容一覧(助松郊外学園)」の表に記載されている疎開元の各学校史を確認。
11. プロセス1から11で見つかった資料に掲出の参考文献を確認、資料12,13が見つかる。
12. 「Google」にてキーワード“泉大津”“助松学園”でヒットしたサイトを確認し、資料14.15がみつかる。
- 事前調査事項
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『大阪市学童集団疎開地一覧』 上 ( 大阪市史編纂所/編 大阪市史料調査会, 1995)の冒頭に、助松郊外学園の受け入れた学童の数について書かれている。
- NDC
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- 教育史.事情 (372 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0070004811> 昭和大阪市史 第7巻 文化篇 大阪市役所/編集 大阪市役所 1953 (資料1)
- 当館書誌ID <0012916538> 第二次世界大戦後大阪における戦争孤児の生活と教育 上 大阪市立郊外学園を中心に(大阪民衆史研究 第67号別刷) 赤塚 康雄/[著] 大阪民衆史研究会 2012.12 (資料2)
- 当館書誌ID <0013383316> 第二次世界大戦後大阪における戦争孤児の生活と教育 下 大阪市立郊外学園を中心に(大阪民衆史研究 第68号別刷) 赤塚 康雄/[著] 大阪民衆史研究会 2013.12 (資料3)
- 当館書誌ID <0000287252> 新修大阪市史 第8巻 現代 1 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1992.3 (資料4)
- 当館書誌ID <0000400903> 新修大阪市史 第7巻 近代 3 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1994.3 (資料5)
- 当館書誌ID <0000575068> 泉大津市年代記 西角 桂花/編 泉大津市立図書館 1952 (資料6)
- 当館書誌ID <0012902312> 泉大津市の70年 -かわりゆくふるさと- 泉大津市/編集 泉大津市制施行70周年記念写真集制作委員会 2013.3 (資料7)
- 当館書誌ID <0000342451> 大阪府教育百年史 第1巻 概説編 大阪府教育委員会 1973 (資料8)
- 当館書誌ID <0080199480> 大阪市学事要覧 昭和15・16年度 大阪市役所教育部/編 大阪市役所教育部 [1940-1941] (資料9)
- 当館書誌ID <0070004806> 昭和大阪市史 第2巻 行政篇 大阪市役所/編集 大阪市役所 1952 (資料10)
- 当館書誌ID <0070004810> 昭和大阪市史 第6巻 社会篇 大阪市役所/編集 大阪市役所 1953 (資料11)
- 当館書誌ID <0080191133> かつやま -五十周年記念誌- 大阪市立勝山小学校創立五十周年記念誌編集部/編 大阪市立勝山小学校創立五十周年記念事業委員会 1977 (資料12)
- 当館書誌ID <0000819604> 消えたわが母校 -なにわの学校物語- 続 赤塚 康雄/著 柘植書房新社 2000.8 9784806804390 (資料13)
- 「おおつ物語 戦後70年~戦争の足跡~(3)助松学園①」『広報いずみおおつ』平成27年6月号/裏表紙 http://www.city.izumiotsu.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/48/2706kouhou44.pdf (2016.12.14確認)(資料14)
- 「おおつ物語 戦後70年~戦争の足跡~(4)、助松学園②」『広報いずみおおつ』平成27年7月号/裏表紙 http://www.city.izumiotsu.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/48/2707kouhou44.pdf (2016.12.14確認)(資料15)
- キーワード
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- 学童疎開
- 集団疎開
- 助松郊外学園
- 助松学園
- 助松養護学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000196606