レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月19日
- 登録日時
- 2016/06/13 13:42
- 更新日時
- 2016/09/06 12:19
- 管理番号
- 埼熊-2016-020
- 質問
-
解決
赤沼藩の初代藩主、内藤正勝が留守居の役に在任時の武鑑に「やしきもちの木」とある。
これは正勝の江戸の屋敷の所在地を示したものと思われるが、現在のどこにあたるか知りたい。
- 回答
-
該当すると思われる「冬青木坂、黐木坂(もちのきざか)」という地名が現在の東京都千代田区にあることがわかった。
記述のあった下記資料を紹介した。
『角川日本地名大辞典 13 東京都』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1979)
『歩いてみたい東京の坂 下』(歴史・文化のまちづくり研究会編 地人書館 1999)
『江戸城下変遷絵図集 御府内沿革図書 3』(幕府普請奉行編 原書房 1985)
- 回答プロセス
-
1 質問者の見た「武鑑」を再度確認する。
『大武鑑 上巻』(橋本博編 名著刊行会 1965)
p231-276「元禄四年(本朝武系当鑑)」
p259「十 御留守居年寄衆」
「六千石 内藤上野守 やしき もちの木 同断〔与力ナキ同心廿人ツツ〕」
2 江戸の屋敷と思われるため、東京の地名を調査する。
『角川日本地名大辞典 13 東京都』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1979)
p704「もちのきざか 冬青木坂 <千代田区>」
「千代田区九段北1丁目と富士見1丁目の境をなす坂。(略)黐木坂とも書き、万年坂ともいう。」
『歩いてみたい東京の坂 下』(歴史・文化のまちづくり研究会編 地人書館 1999)
p23「20 九段、北の丸」
九段坂の2区画北に「冬青木坂」あり。
解説は「九段坂」はあり、「冬青木坂」は無し。
p175「坂リスト」の「も」の項に、
「548 〔通称〕冬青木坂 〔別称〕餅木坂、万年坂 〔地域番号〕20 〔所在地〕千代田区 九段北一丁目と飯田橋一丁目の間を西に上がる。」とあり。
『江戸城下変遷絵図集 御府内沿革図書 3』(幕府普請奉行編 原書房 1985)
「(二)田安御門外元飯田町 千代田区九段北一丁目」の項
p26「この地域は、げんざい九段北一丁目にあたる。」「ここの掲載範囲は、(中略)南は九段坂、俎橋でかぎり、東端は堀、北は黐木坂、西は田安門を出て北へ直進する道である。」とあり。
p27「延宝以前ヨリ貞享年中追之形(一六七三年以前~一六八八年)」、p29「元禄三午年之形(一六九〇年)」の絵図に「モチノキ坂」あり。坂下に「内藤式部少輔」あり。
参考事例
《国会図書館レファレンス協同データベース》管理番号:埼久-2015-137「文化元(1804)年-天保5(1834)年に、江戸市中モチノキ坂にあったとされる、岩槻藩主大岡家の屋敷を図面で確認したい。(埼玉県立久喜図書館)」(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000187925 国会図書館)
ウェブサイトの最終アクセス日は2016年8月31日。
- 事前調査事項
-
質問者は『大武鑑』(橋本博編)に収録された『元禄武鑒』を見たとのこと。
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
-
- 『角川日本地名大辞典 13 東京都』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1979) , ISBN 4-04-001130-9
- 『歩いてみたい東京の坂 下』(歴史・文化のまちづくり研究会編 地人書館 1999) , ISBN 4-8052-0610-1
- 『江戸城下変遷絵図集 御府内沿革図書 3』(幕府普請奉行編 原書房 1985) , ISBN 4-562-01555-1
- キーワード
-
- 内藤 正勝(ナイトウ マサカツ)
- 赤沼藩
- 冬青木坂
- 黐木坂
- 東京都千代田区-地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000193252