レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/3/11
- 登録日時
- 2016/04/21 00:30
- 更新日時
- 2016/06/01 16:59
- 管理番号
- 滋2015-0057
- 質問
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解決
雄琴温泉は、最澄によって開かれたと聞いた。このことがわかる資料はないか。
- 回答
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大正15年(1926)に刊行された『遊覧案内趣味の大津』によると、「滋賀郡雄琴村大字苗鹿小字蛇ヶ谷に湧出。種類 鑛泉、効能 各種神経病、生殖器病、皮膚病 大正十二年六月創立、同十三年八月擴築 由来傳説、傳教大師が始じめて此池を掘ったとき膝下に大蛇が現はれた、師は一心に唱念せらるゝとかの大蛇は見る 小指大の小蛇となつてしまった、大師は衆人に危害を加ふることを慮り此池の處に蛇を封じた蛇塚はそれである、鑛泉湧出池は此池であると。」あります。また、『湧くわく紀行 京都・滋賀の温泉めぐり』には、「比叡山に入山して現在の延暦寺の基礎を建立する際に、近くに湧く温泉を発見したといわれる。その湯を、建立にだずさわった人々の疲れを癒すためにつかったのが、この雄琴温泉の始まりとされている。」とあります。
一方、1963年に刊行された『大津の伝説』には「文徳天皇の頃、土岐の大史官今雄宿彌に雄琴の荘を賜つた時、宿彌は荘内に法光寺を建立したところ、天皇はこれを国家鎮護の道場とお定めにつた。ところが境内から霊泉がこんこんと湧き出して来た。宿彌の枕元に同寺の薬師如来があらわれて「飲めば内病浴すれば外病忽ちに癒ゆ」とのお告げがあった。宿彌は早速湯船をこしらえて風呂を沸かして参詣者に入浴の便をはかられたところそれから以後参詣はたくさんになつた。これが今の雄琴温泉のおこりとなつた。」とあります。『わが郷土雄琴の歴史を探る』にも「雄琴温泉の由来 まず、雄琴温泉旅館等が宣伝用にしている「温泉の由緒書」を紹介しよう。今から千年の昔、文徳天皇の頃、今雄宿禰、荘園内の苗鹿に法光寺を創建なし、天皇はその氏寺を国家鎮護の道場と定められた。これにより先、法光寺境内に霊泉こんこんと湧出し、不思議にもこの泉を飲めば難病も立ちどころに治まるというので、西近江路を往来する旅人は、必ずこの寺に参詣して念仏を称(とな)えつつ、この池中に賽銭(さいせん)を供えて旅路の安全を祈願すると、たちまち池の底より多数の泡が吹き上がって加護の祈念に応(こた)えたという。また、あるときは、同寺に本尊薬師如来が現われ、飲めば内病、浴すれば外病たちまち平癒すとお告げがありしという。(後略)」とあり、『新修大津市史 第7巻』では、この資料をもとに「蛇ヶ池の念仏池」の伝承を紹介しています。
なお、『近江・若狭・越前寺院神社大事典』には、法光寺について「最澄が当地の山を霊山として堂宇を建立、自刻の薬師如来を安置にしたのに始まるという。のち当地を支配した官務家小槻氏が氏神としていた那波加(なばか)神社の別所であったが、貞観五年(八六三)小槻宿彌今雄が当地を受領した際、深く薬師如来を信仰し堂舎を建立したのが当寺と伝える。」とあり、最澄と法光寺は関連があることがわかります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 1 遊覧案内趣味の大津 柴田一二∥著 澤五車堂 1926年 S-2911- 26 p.24
- 2 湧くわく紀行 宮野智博∥著 京都新聞社 1999年 S-2900- 99 p.130
- 3 大津の伝説 大津市産業部観光課∥編 大津市 1963年 S-3811- 63 p.1
- 4 わが郷土雄琴の歴史を探る 大津市立雄琴小学校∥編 大津市雄琴学区自治連合会 1972年 S-2911- 72 p.33
- 5 新修大津市史 第7巻 北部地域 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1984年 S-2111-7 p.368
- 6 近江・若狭・越前寺院神社大事典 平凡社∥編集 平凡社 1997年 S-1600- 97 p.455
- キーワード
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- 雄琴温泉
- 最澄
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000191483