レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年02月13日
- 登録日時
- 2016/03/06 16:24
- 更新日時
- 2016/03/07 14:23
- 管理番号
- いわき総合-地域404
- 質問
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解決
「私立平陽実科女学校」というのが、いわきにあったが、現在、その学校はどうなっているのか。他の女学校と併合したという話もあるが…
また、家族が大正13年度に平陽実科女学校を卒業しているので、その関係の資料はないか。
- 回答
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『絵はがきのなかの「いわき」』から「私立平陽女学校は、明治38年3月、私立女子裁縫学校として平町字田町16番地に設立され、大正13年3月、私立平陽実科女学校へ改称されたのを機に、平字掻槌小路20番地に移転改築。昭和3年4月には、文部大臣の認可を受け、私立平陽女学校をと改称したが、昭和20年7月廃校となった。」とある。これにより、他の女学校とは併合してはいない。
また、平字掻槌小路20番地は、『保存版 いわき今昔写真帖』にあるように、現在は更地となり駐車場となっている。(取り壊される前に校舎は、図書館、公民館等にも一時利用された。)
当館のホームページ・郷土資料のページで公開している昭和2年3月27日付けの「磐城時報」で、「平陽女学校卒業式」の記事を確認。大正13年度の卒業生については、『郷土誌 平第一小学校』の第三節 教育 五 中等以上ノ教育 5 其他ノ学校のところで「平陽女学校」大正13年度 入学者数136、卒業者142と記述がある。
- 回答プロセス
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①『いわき市史 第6巻』第三章p362に、「明治38年に裁縫技術を授けるため、私立平陽裁縫女学校(設立者酒井ミヨ)を創立」とあり。
②Google検索で「平陽女学校 いわき」で検索すると、『いわき今昔写真帖 保存版』がヒットし、p142に「かつて平陽裁縫女学校があった平字掻槌小路の跡地は、建物がすっかり取り壊され、月ぎめの駐車場として活用されている。」
③「平陽実科女学校」の絵はがきがあったことを思い出し、『絵はがきのなかの「いわき」』を確認したところ、p72に「⑤私立平陽実科女学校(←私立平陽裁縫女学校)」の詳しい記述。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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いわき市史編さん委員会/編 , いわき市. いわき市史 第6巻. いわき市, 1978.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I021388878-00 -
郷土出版社/編 , 郷土出版社. 保存版 いわき今昔写真帖 : 20世紀のふるさと150景. 郷土出版社, 2003.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I010912515-00 , ISBN 4876636559 - 『絵はがきのなかの「いわき」』いわき市立いわき総合図書館/編 いわき未来づくりセンター 2009 K-210.6-1-イ
- 『郷土誌 平第一小学校 昭和7年』平第一小学校 1932 K-210.1-1-キ-S
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いわき市史編さん委員会/編 , いわき市. いわき市史 第6巻. いわき市, 1978.
- キーワード
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- 平陽裁縫女学校
- 平陽実科女学校
- 平陽女学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000188951