レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/11/11
- 登録日時
- 2016/02/18 00:30
- 更新日時
- 2016/02/18 00:30
- 管理番号
- K151022110347
- 質問
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解決
戦時中、日本軍の中佐だった鈴木辰三郎について、いつ、どの階級で入隊したのか、昇格をしたのであればそれがいつなのか知りたい。
- 回答
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ご照会の件について下記の通り回答いたします。【 】内は当館請求記号、インターネット情報の最終アクセス日は2015年11月6日です。なお、下記の参照資料中、5.~8.は国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)においてインターネット公開されているため、書誌に当該箇所のURLを付してあります。
資料1.は、鈴木辰三郎氏本人が生い立ちから終戦頃までの記憶を語っている雑誌記事です。この中のpp. 88~95から、彼の経歴が下記の通りに読み取れます。
1911年:出生
1929年:陸軍士官学校に入学
→予科から本科に進む際に砲兵科を選択、半年ほど広島連隊に勤務
→1933年:卒業(第四十五期生)、台湾の山砲連隊に勤務/この頃の階級は少尉
1934年:陸軍砲工学校に入学
→1936年12月:卒業
1937年:陸軍の委託学生として東京大学理学部理学科に入学/この頃の階級は中尉
1938年3月1日:大尉になる
1940年:東京大学を卒業、航空技術研究所に勤務
1941年:少佐になる
1944年:航空本部員として理化学研究所に派遣される
1945年6月:中佐になる
ただし、この記事は本人の記憶によるものなので資料としての客観性を欠くものであり、加えて正確な時期が判然としない情報もあるため、他のより客観的な資料によって情報を補足する必要があります。
資料2.は陸軍士官学校について詳しくまとめた資料で、巻末には出身者の一覧が付されています。この第四五期<野砲>の欄(p. 242)に鈴木氏の名前が載っています。また同資料中の年表(pp. 223~224)から、第四十五期生が1929年4月予科入学/1931年3月予科卒業/同年10月本科入学/1933年7月本科卒業したことも確認できます。さらに、鈴木氏が1.で述べている広島連隊への勤務が「隊付士官候補生制度」によるものであることもp. 132等からわかります。
鈴木氏の入隊についてですが、軍用語の事典である資料3.の「入営・入隊」の項(p. 162)を参照すると、「陸軍軍人となって兵営に入り、軍隊生活に移るものすべてを入営という。(中略)なお、毎年一二月上旬に入ってくる現役徴兵および各候補生、一年志願兵の場合には入隊となる」とあります。資料2.より鈴木氏が隊付士官候補生制度によって広島連隊に勤務したことがわかっていますから、これをもって入隊と捉えるのが妥当であるということになります。
隊付勤務の時期については、日本軍の人的制度に詳しい資料4.のp. 179を参照すると、「(大正9年の学校制度改正以後の陸軍士官学校では)予科二年、隊付教育六カ月、本科一年十カ月、見習士官二カ月で少尉任官というのが、標準のコースとなった」とあります。資料2.で確認した第四十五期生の入学及び卒業の時期がこの記述と齟齬をきたさないことから、鈴木氏が隊付勤務のために広島連隊に入隊したのは1931年4月であると考えられます。
資料5.及び6.は陸軍省が作成した将校の名簿であり、将校の任官に関する情報が得られます。資料5.の砲兵少尉の項p. 965からは、彼が昭和8(1933)年10月20日に少尉に任官されたこと、昭和9(1934)年3月5日付で台湾山砲兵大隊に配属されたことがわかります。同様に資料6.の砲兵中尉の項p. 939から、彼が昭和10(1935)年10月10日に中尉に任官されたことがわかります。しかし、こうした資料として昭和12(1937)年以降に作成されたものは当館の所蔵にないため、同資料から以降の彼の任官時期を確認することはできませんでした。
資料7.は、昭和11(1936)年12月7日の官報に掲載された、その年の陸軍砲工学校の卒業生一覧です。この中の第四十二期高等科生、陸軍砲兵中尉の欄に鈴木氏の名前が載っています。
資料8.は、昭和15(1940)年の東京帝国大学の要覧です。この資料にはその年の卒業生一覧も掲載されており、その中の理学部物理学科、昭和十五年三月卒業の項(p. 596)に鈴木氏の名前が載っています。資料7.及び8.から確認できる各学校の卒業時期は、いずれも資料1.における鈴木氏の発言と一致しています。
インターネット情報1.は、昭和20(1945)年の陸軍内の将校進級を通知する資料です。この中の「兵科少佐ヨリ兵科中佐ニ」の一覧に鈴木氏の名前が載っています。インターネット情報2.はこの表紙にあたるもので、ここに「六月十日発令予定」という記述が見られます。これらから得られる中佐任命の年及び月の情報は、いずれも資料1.における鈴木氏の発言と一致しています。
資料9.は終戦時における全将校の職務を記録したものです。この資料のp. 255に彼の名前が載っており、彼が終戦時に航空本部技術部所属の中佐であったことがわかります。
以上の資料から判明した、彼の入隊及び階級に関する経歴をまとめると以下の通りになります。
1931年4月:広島連隊に士官候補生として入隊(資料1.~4.より)
1933年10月20日:少尉になる(資料5.より)
1935年10月10日:中尉になる(資料6.より)
1938年3月1日:大尉になる(資料1.より)
1941年:少佐になる(資料1.より)
1945年6月10日:中佐になる(発令予定)(資料1.及びインターネット情報1.、2.より)
すでに述べた通り、このうち大尉及び少佐の任官時期についての情報は客観性を欠くものです。しかし、これ以上の調査は、調査及び研究の代行と認められ、当館のレファレンス・サービスの範囲を超えるものとなるため応じることができません。ご了承ください。
<参照資料>
1. 鈴木辰三郎. スクープ!五十年めの証言「原子爆弾の開発を命ず」――私は敗戦直前まで執念を燃やした. 宝石.. 光文社, 23(1) 1995.1 pp. 86~101【Z24-270】
2. 陸軍士官学校. 秋元書房, 1970. 【AZ-655-4】
3. 原剛, 安岡昭男 編. 日本陸海軍事典. 上. 新人物往来社, 2003.9. 【A112-H79】
4. 熊谷光久 著. 日本軍の人的制度と問題点の研究. 図書刊行会, 1994.11. 【GB411-E65】
5. 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和9年9月1日調. 偕行社, 1934. 【A112-121】
p. 965(コマ番号504):http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449981/504
6. 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和11年9月1日調. 偕行社, 1936. 【A112-121】
p. 939(コマ番号484):http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454447/484
7. 大蔵省印刷局 [編]. 彙報 / - / - / 學生卒業陸軍砲工學校(陸軍省). 官報. 1936年12月07日.. 日本マイクロ写真(製作), 1936 pp. 236~237 【YC-1】
pp. 236~237(コマ番号7):http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959462/7
8. 東京帝国大学 編. 東京帝国大学一覧. 昭和15年度. 東京帝国大学, 1941. 【281-2x】
p. 596(コマ番号308):http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466162/308
9. 松原慶治 編. 終戦時帝国陸軍全現役将校職務名鑑. 戦誌刊行会, 1985.8. 【A112-443】
<インターネット情報>
1(アジア歴史資料センターウェブサイト(http://www.jacar.go.jp/)より).
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C12120945300. 将校進級内報(1). 陸軍異動通報 4/4 昭和20年(防衛省防衛研究所)..
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C12120945300?TYPE=jpeg(画像13コマ目)
2(アジア歴史資料センターウェブサイト(http://www.jacar.go.jp/)より).
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C12120945200. 人往第1535号 昭和20年6月6日 将校進級の件内報. 陸軍異動通報 4/4 昭和20年(防衛省防衛研究所)..
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C12120945200?TYPE=jpeg(画像1コマ目)
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- 登録番号
- 1000188212