レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/09/25
- 登録日時
- 2016/01/22 00:30
- 更新日時
- 2016/01/22 00:30
- 管理番号
- 6001013628
- 質問
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解決
明治34年8月以降に開所したと思われる「大阪市図案調製所」という組織に関し、(1)開所の時期(2)業務の内容(3)設立の経緯などがわかる文献がありますでしょうか。
- 回答
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(【 】内は、当館の請求記号です。)
まず、大阪市の刊行する資料から調査しました。
『新修大阪市史 第6巻』 新修大阪市史編纂委員会編集 大阪市 1994.12 【216.3/25N/6】
p.174 「(略)財界人の市長ということもあってか、事務章程制定前に手数料を取って商工者の需要に応じ、各種物品に対する意匠考案を付し、その図案を調製する市立の図案調製所が設立された。それは、三十七年三月まで存続したが、その事務を分掌する係は明確には定められなかった。」(三十七年は明治、設立年の記述はない。)
『明治時代の大阪 下 幸田成友編「大阪市史明治時代未定稿」』 (大阪市史史料 第九編) 大阪市史料調査会編 大阪市史料調査会 1983 【328/845/#】
p.67「(市の支出)(七)勧業に関する支出 所謂勧業費にして獣疫予防費奨励費及三十二年度より三十六年度に至る図案調製所に関する費用を支弁したり。」
とあります。
次に予算計上されているならと、『大阪市会史』を調査しました。
『大阪市会史 第4巻』 大阪市役所編纂 大阪市役所 1912 【435/743/#】
明治32-34年の内容を掲載していますが、明治32-33年の項目に記述を見つけることはできませんでした。
p.594「議案第二十一號明治三十四年度歳入出豫算表 第十欵勸業費 第三項圖案調整所費 前年度豫算額(記載なし) 本年度豫算額二、八三〇円二五〇銭 一給料…」と続いており、技師1人、技手2人、使丁1人の人員とその給与が書かれるほか、予算項目ごとの予算が書かれています。
同様に、
『大阪市会史 第5巻』 大阪市役所∥編纂 大阪市役所 1912 【435/743/#】
p.79「明治三十四年議案第百三十三號明治三十五年度歳入出豫算表(原案) 第十欵勸業費 第四項圖案調整所費 前年度豫算額二、八三〇円二五〇銭 本年度豫算額二、八二六円二五〇銭 一給料…」と続いています。
p.332「議案第一號明治三十六年度歳入出豫算表 第九欵勸業費 第一項圖案調整所費 前年度豫算額三、三八一円九五〇銭 本年度豫算額二、九一九円八四五銭 一給料…」と続いています。
p.656「議案第三十二號市立圖案調整所廢止ノ件
大阪市立圖案調整所ハ明治三十七年三月三十一日限リ廢止スルモノトス」
とあります。
ただし、『大阪市会史』では開所の時期、業務内容、設立の経緯についての表記をみつけることができませんでした。
『回顧三十年』 大阪府立商品陳列所創立三十周年記念協賛会 1920 【540.3/269/#】
p.185-204「工藝圖案」には大阪の図案家等の動向が記されています。
p.194「明治卅六年の第五回内國勸業博覧會の準備のために大森氏森田氏その他二三の圖案家が大阪市役所に聘せられた、此の後身が大阪圖案調整所となつて殘つたのだ、そして明治卅五年十一月の設立から明治四十年まで繼續した、後年深田圖案研究所を設けて圖案會の爲に大いに貢献した深田藤三郎氏がその任にあたつた、専ら製版漆工染織木工その他各種の工藝圖案の依頼調整に應じてゐた。」(卅六は36)
とあります。
また、
「大阪と漆工」 土井久美子著 『大阪市立美術館紀要 第12号』 大阪市立美術館 2012.3 【P70/34N】の
p.91「表3 大阪関係漆工年表」に「明治31年(1898) 田中平三郎、島佐兵衛とともに大阪市を動かし市立図案調整所を設立せしめ漆器銅器の図案の調整指導を誘致する。」出典:『郷土名工助長奨励功労者小伝』という記述があります。
なお、同資料はhttp://www.osaka-art-museum.jp/kiyo にて公開されています。
また、『郷土名工助長奨励功労者小伝』は大阪府立図書館では所蔵がなく、大阪市立中央図書館で所蔵しておりますので、内容の確認はできていません。
『明治大正大阪市史 第6巻』 大阪市役所編纂 清文堂出版 1966 【328/757/#】には大阪府の法令として2つの条文が掲載されているので参考までに掲載します。
p.572「一九 一月三十一日 諸工業者ニ製圖貸與ノ件
諸職工ニ於テ海外ノ販賣ヲ見込諸品製造致候者、其工案難決向ハ勿論或ハ相應ノ圖式ヲ望候者ハ、其製造ノ品種書、並本人ヘ工案有之者ハ、其略圖等相添申出候ハヽ、精々時ノ流行ヲ酌量シ製圖貸與可致旨勸業局ヨリ照會有之候條、志願ノ者ハ當府ヘ申出候歟或ハ都合ニ因リ直チニ該局ヘ願出候モ不苦候條、此旨管内職工業ノ者ヘ無洩相達候事」 (一九は明治11年天第19號の意)
p.704-705「甲六五 四月九日 商務局圖式貸與ノ件
今般商務局ニ於テ本邦固有ノ美術者ニシテ其工案難決向、及ヒ精工品製造ノ目的ニシテ圖案ヲ需メ候者ニ限リ、其技倆ヲ酌量シ相當ノ圖式ヲ新調貸與可致旨照會有之候ニ付テハ、各職工ニ於借用望ノ者ハ製造品ノ原質寸尺及仕上ケ代價ノ見込等其他必用ノ廉々詳密記載シ、當廳或ハ都合ニ依リ直ニ同局ヘ願出候儀不苦候條此旨布達候事
但明治十一年當府天第十九號布達ハ相廢候事」 (甲六五は明治14年甲第65號の意)
大阪市図案調整所についての記載はありませんが、当時の図案に関する時代背景を知ることのできる論文としては、
「大阪府立商品陳列所と図案啓蒙活動」 菅谷富夫著 『大阪における近代商業デザインの調査研究 宮島久雄研究代表 [宮島久雄] 2005.3 【674.2/46N】
があります。
以上のとおり調査をすすめましたが、文献による表記のずれが見え、確定できるものではありませんでした。
できましたら、大阪市公文書館へお問い合わせいただくなど、行政資料として事実が特定できる資料を調査することをお勧めします。
以上で回答とさせていただきます。
[事例作成日:平成28年1月6日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・大阪毎日新聞(明治34年7月17日2面)
「先に大阪市図案調製所なるものを設くることを可決せしが右技師として東京美術協会の大森惟中氏を年俸八百円にて傭聘せんことに内定し其旨同氏に交渉することヽなりたりと」
・同(明治34年7月24日5面)
「大阪市図案調査所技師として東京美術学校教授大森惟中氏を傭聘せんとて交渉中なることは既報の如くなるが多分近日着任することヽなるべしといふ」
・『社団法人大阪府工芸協会創立十週年記念録』44頁
「(大森惟中)明治三十四年大阪市立図案調製所長に聘せられ…同二十七年調製所の廃止に依り…」※後段はおそらく「同三十七年」の誤り(森仁史編『論文選 明治篇』叢書・近代日本のデザイン9に収録)
- NDC
- 参考資料
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- 新修大阪市史 第6巻 新修大阪市史編纂委員会∥編集 大阪市 1994.12
- 明治大正大阪市史 第6巻 大阪市役所∥編纂 清文堂出版 1966
- 明治時代の大阪 下 幸田/成友∥編 大阪市史料調査会 1983
- 大阪市会史 第4巻 大阪市役所∥編纂 大阪市役所 1912
- 大阪市会史 第5巻 大阪市役所∥編纂 大阪市役所 1912
- 回顧三十年 大阪府立商品陳列所創立三十周年記念協賛会 1920
- 大阪における近代商業デザインの調査研究 宮島/久雄∥研究代表 [宮島久雄] 2005.3
- 大阪市立美術館紀要 大阪市立美術館 大阪市立美術館 1978- 12
- http://www.osaka-art-museum.jp/kiyo (大阪市立美術館紀要)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000187427