レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/10/21
- 登録日時
- 2015/12/17 00:30
- 更新日時
- 2015/12/17 00:30
- 管理番号
- K150930142743
- 質問
-
未解決
1945年8月10日の朝日新聞によると、日本軍参謀である赤塚は、原爆の被害を調査したのちに広島から大阪に戻ったとあります。赤塚の軍での所属は中部軍管區司令部にあたります。赤塚のフルネーム、階級、経歴、上官、なぜ東京やほかの街ではなく大阪に戻ったかがわかるサイトや資料はないでしょうか。
また、赤塚が、仁科芳雄博士や鈴木辰三郎博士との関係があったかどうかも知りたい。
- 回答
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回答
ご照会の件について、下記のとおり回答いたします。【 】は当館請求記号、インターネット情報の最終アクセス日は2015年10月15日です。
赤塚氏のフルネームと昭和20年8月の視察当時の階級は、当時の新聞記事(資料1)に記載があります。これによるとフルネームは赤塚一雄、階級は中佐となっています。なお名前の読みについて言及した資料はありませんでした。
赤塚氏の経歴について
赤塚氏は明治38(1905)年5月23日生まれ。陸軍士官学校第38期生。大正15(1926)年10月に少尉任官、昭和2(1927)年9月時点で野砲兵第6連隊に所属しています。昭和4(1929)年10月に中尉昇進、昭和9(1934)年8月大尉昇進、昭和11(1936)年3月野砲兵第24連隊所属という経歴です(資料2-9)。以後5年間の経歴は不明です。
その後昭和16(1941)年10月ごろの時点で、第38師団司令部参謀(階級は少佐)となっています(インターネット情報1)。
太平洋戦争終期(昭和20(1945)年3月時点)の主要部隊長参謀一覧表では第15方面軍司令部参謀(階級は中佐)となっています(インターネット情報2)。
昭和20年8月15日時点の編制表でも、第15方面軍司令部参謀(階級は中佐)となっています(資料10)。
質問文にあった朝日新聞の記事と資料1では、赤塚氏は「中部軍管区参謀」となっていますが、当時、方面軍司令部と軍管区司令部の参謀は一部相互兼任をしています。したがって、両者の情報は必ずしも矛盾するとは言えません(インターネット情報2の冒頭でも方面軍参謀が軍管区参謀を兼任する旨記載があります)。
赤塚氏の上官について
上述のインターネット情報2、資料10にはそれぞれ司令官、参謀長、参謀副長の氏名が記載されています。資料10の情報は、下記のとおりです。
軍司令官:河辺正三(中将)(昭和20年2月1日)、内山英太郎(中将)(昭和20年4月7日)
参謀長:国武三千雄(中将)(昭和20年2月1日)
参謀副長:山之内二郎(少将)・宮野正年(少将)
大阪に戻った事情、仁科芳雄氏、鈴木辰三郎氏との関係がわかる資料
下記の<その他調査資料>を確認しましたが、これらの点について記載されている資料はありませんでした。
資料1 毎日新聞. [東京]. 国立国会図書館 (製作)【YB-6】巻号年月日等:19450700-19451200
昭和20年8月9日朝刊 p.1
資料2 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和2年9月1日調. 偕行社, 1927 【A112-121】
p.961「野砲兵第六連隊少尉(第六師団)」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454434/506
資料3 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和3年9月1日調. 偕行社, 1928. 【A112-121】 p.951「野砲兵第六連隊少尉(第六師団)」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454433/500
資料4 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調. 偕行社, 1929.【A112-121】 p.959「野砲兵第六連隊少尉(第六師団)」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454435/499
資料5 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和5年9月1日調. 偕行社, 1930. 【A112-121】 p.970「野砲兵第六連隊中尉(第六師団)」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454436/506
資料6 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和6年9月1日調. 偕行社, 1931. 【A112-121】 p.929「砲兵中尉」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454438/482
資料7 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和7年9月1日調. 偕行社, 1932. 【A112-121】 p.927「砲兵中尉」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454441/483
資料8 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 : 索引付. 昭和8至10年(各9月1日調). 偕行社, 昭和8-10【44-275】 巻号年月日等:昭和8年
p.911「砲兵中尉」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449426/476
巻号年月日等:昭和9年p.894「砲兵大尉」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449461/465
巻号年月日等:昭和10年p.886「砲兵大尉」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449474/460
資料9 陸軍省 編. 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和11年9月1日調. 偕行社, 1936.【A112-121】 p.873「砲兵大尉」
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454447/451
資料10 外山操, 森松俊夫 編著. 帝国陸軍編制総覧. 芙蓉書房出版, 1987.12.【AZ-663-E1】
pp.1133~1144「第十五方面軍司令部」
インターネット情報1(アジア歴史資料センターウェブサイト(http://www.jacar.go.jp/))
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13031811800、第38師団将校職員表 (佐野兵団) 昭和16年10月頃(防衛省防衛研究所)」(画像3コマ目)
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C13031811800?TYPE=jpeg
インターネット情報2(アジア歴史資料センターウェブサイト(http://www.jacar.go.jp/))
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070927600、主要部隊長参謀一覧表 昭和20年3月(防衛省防衛研究所)」(画像1コマ目)
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C13070927600?TYPE=jpeg
<その他調査資料>
朝永振一郎, 玉木英彦 共編. 仁科芳雄 : 伝記と回想. みすず書房, 1952.【289.1-N819Tn】
高田純 著. 核と刀 : 核の昭和史と平成の闘い. 明成社, 2010.4.【A75-J107】
東京12チャンネル社会教養部 編. 新編私の昭和史. 2 (軍靴とどろく時). 学芸書院, 1974.【GB511-25】
保阪正康 著. 原子爆弾完成を急げ : 衝撃の戦時秘話. 朝日ソノラマ, 1983.5.【GB531-136】
玉木英彦, 江沢洋 編. 仁科芳雄 : 日本の原子科学の曙. 新装版. みすず書房, 2005.10.【GK97-H29】
山本洋一 著. 日本製原爆の真相. 創造 ; 陽樹社 (発売), 1976.【NG153-5】
鈴木辰三郎. 完成寸前にあった日本製原爆の全貌. 丸 / 14(11)(通号174) 1961.11 pp.30~35【Z2-171】
山崎 元. 「遅すぎた聖断」の理由の推理--昭和天皇と日本製原爆開発計画. 文化評論 / 新日本出版社 [編]. (通号 377) 1992.06. pp.255~264【Z23-20】
鈴木辰三郎. スクープ!五十年めの証言「原子爆弾の開発を命ず」――私は敗戦直前まで執念を燃やした. 宝石. 23(1) 1995.01. pp.86~101【Z24-270】
竹内 柾. 「ニ」号研究のいきさつ. 技術史 / 日本科学史学会技術史分科会『技術史』編集委員会 編. (3) 2002. pp.36~52【Z74-D229】
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- 参考資料
- キーワード
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- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000185754