レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/06/19
- 登録日時
- 2015/11/29 00:30
- 更新日時
- 2015/12/01 19:33
- 管理番号
- 0000001343
- 質問
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解決
石川県出身の上森子鉄について調べています。父である上森捨次郎について、レファレンスをお願いします。
- 回答
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・石川県立盲学校創立100周年記念誌『風の道標』1-2p年表に、創立者として、また校長退職年次に記載がありました。188pには「10傑の遺族連絡先一覧」に「続柄 3男 連絡先 上森子鉄」とあり、住所と電話番号が記載されていました。197pには約1/3ページに渡って「上森捨次郎(1859-1919) [安政6年-大正8年] 明治41年1月11日、私立金沢盲唖学校を設立して自ら校長となり、金沢市公会堂で授業を開始した。大正年(※原文ママ)2月3日退職。同校は同年4月石川家教育会に移管して、石川県教育会付属私立金沢盲唖学校と改称された。金沢市高岡町出身。17歳から28歳まで教職に精励。明治22年金沢市政がしかれ、市会議員に立候補し、当選。以降、政治活動を行う。全国を視察して、本県の盲唖教育の立ち遅れを痛感し、上記学校(本校の前身)を設立した。経営が苦しく、映画上映や児童雑誌を発刊して、それに充てた。(後略)」と1/3ページにわたり、略歴が記載されていました。
・元石川県立盲学校教諭、金沢星稜大学人間科学部非常勤講師による著作『道を開拓した21人』のp370「5孤軍奮闘する学校経営 苦しい学校の経営を少しでも楽にしようと、活動写真(無声映画)の巡業をした。(中略)フィルムは『二宮尊徳一代記』2巻、『日露戦争』1巻、『狸の七変化』(お笑いもの)1巻を加えて、『通俗教育活動大写真』と銘打って回っていた。(中略)明治42(1909)年7月、児童の教育雑誌『北陸児童新誌』を発行し、北陸三県に広く頒布した。」、p372「その他明治32(1899)年4月27日~5月3日、尾山神社藩祖三百年祭祭典委員になり、式典の運営に当たった。」等、詳しい記載がありました。
・『石川県人名事典 現代編8』に略歴、誕生、死去、葬儀について記載され市会議員中の功績として「その間犀川水害予防委員、鉄道開設委員、軍人家族補助調査委員、学務委員、市区改正調査委員、その他市特別事業調査委員として多方面で市民のために尽力し、中でもあまり人がふれたがらない火葬場の公営化、盲唖学校設立等を実現させた。」等が紹介されていました。
・『近代日本都市史研究』「(2)1895年市会議員選挙の当選者」中に、名前が散見されました。
・『金沢商工会議所七十年史』の「四 米価暴騰で市勢衰微 -深刻な33年の恐慌-」のp42に「市当局では市共有金、義倉助成金および学資蓄積金を一時繰替え、5072円90銭5厘をもって外米を購入して、廉売すべく市会にはかり、上森捨次郎、谷与三右衛門、藤田真一、清水保正、松本幸次諸氏の5名を委員として、買入れ方法について協議の結果、神戸から外米を仕入れ、1日1戸3升を限度として、1升6銭で6月28日から西町公会堂で一般に販売したがその後、諸物価も漸落したので、9月16日をもって打切った。」と記載がありました。
・『石川における「偉大なる盲人たち」の研究』上森捨治郎について、上記資料群の抜き刷りを中心にまとめられています。なお、一部出典が明記されていない箇所があります。
・『ドゥブン 通巻21号』「〝北陸児童新誌〟と上森捨次郎氏について」は国立国会図書館「図書館向けデジタル化資料送信サービス」にて、最寄の図書館で閲覧いただけます。下記リンクより、対象館を確認の上ご利用下さい。
図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館一覧(2015年6月16日現在)(http://dl.ndl.go.jp/ja/soshin_librarylist.html)
なお、『北陸児童新誌』の所蔵館は見つかりませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・石川県立図書館が子鉄の父、上森捨次郎のレファレンスで『石川教育展望 通巻3号』『石川県特殊教育百年史』『金沢市教育史稿』『あゆみ』『[石川県立盲学校]創立80周年記念誌』『石川郷土史学会々誌 通巻34号』『石川県議会史 第1巻』『石川県史 第4編』の8冊を紹介していた。
・上森子鉄について『文壇残酷物語』『形影』『古川ロッパ昭和日記 』晩年篇、戦後篇、戦中篇、戦前篇
『哀しすぎるぞ、ロッパ』『日本映画伝』『人物・松竹映画史』『日本映画を創った男』『映画渡世』天の巻、地の巻
『近代奇人伝』『定本発禁本』『私の財界交友録』『文芸春秋三十五年史稿』『浜松・日本楽器争議の研究』
『太陽のない街』『競馬怪人』『競馬と革命と古代史をあるく』『日本最大の総会屋「論談」を支配した男』『虚業』の22冊、
大宅文庫で関連雑誌記事など
・ブログ「クニの部屋-北武蔵の風土記-」(http://blog.goo.ne.jp/kuni-furutone118)の2006.10.06「熊谷から羽生に本局が移る -通見社(25)-」に、「朝野新聞」(明治15・5・14付け埼玉有志演説討論会の広告)に、客員として「上森捨次郎」が挙げられていた。
・「神奈川大学学術機関リポジトリ『経済貿易研究27』」『<研究ノート>近世城下町から近代都市へ:明治中期、金沢における実業界と市会の動向』(松村敏/著 http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/handle/10487/3184)に上森捨次郎の名前あり。
・ブログ「嵐山ふるさと塾・チーム嵐山」<埼玉県>(http://ranzan.blog.jp/)の2010.5.9「大澤国十郎学務日記簿からわかること」に、明治15年2月、嵐山地区の学務委員を拝命した大澤国十郎が、14日から17日にかけて石川県士族雇教員上森捨次郎らと顔合わせした、とあり。
- NDC
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- 伝記 (28 9版)
- 参考資料
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- 1 石川教育展望 通巻3号 石川県教育文化会議 石川県教育文化会議 1978- 70p
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2 石川県特殊教育百年史 石川県特殊教育百年史編さん委員会∥編 石川県教育センター 1981.3 K378/20 5-9p -
3 金沢市教育史稿 日置 謙∥著 石川県教育会金沢支会 1919 K372/2 327-328p -
4 あゆみ 石川県立盲学校∥編 石川県立盲学校 1968 K378/5 2-9p -
5 [石川県立盲学校]創立80周年記念誌 石川県立盲学校創立80周年記念事業実行委員会∥編 石川県立盲学校創立80周年記念事業実行委員会 1988.10 K378/46 91-95p -
6 石川郷土史学会々誌 / 石川郷土史学会 通巻34号 石川郷土史学会 石川郷土史学会 2001.12 113-124p -
7 石川県議会史 第1巻 石川県議会史編さん委員会編∥編 石川県議会事務局 1969 K314/10/1 1458-1459p -
8 石川県史 第4編 石川県∥編 石川県 1931 K209/5/4 365-599p -
9 風の道標 石川県立盲学校?編集 石川県立盲学校 2008.10 K378/1024 1-2,188,197p -
10 道を開拓した21人 松井/繁∥著 橋本確文堂 2015.2 K369.2/1102 361-379p -
11 石川県人名事典 現代編8 片桐 慶子∥編 石川出版社 2002.12 K280/132/8 54p -
12 近代日本都市史研究 大石/嘉一郎?編著 金沢/史男?編著 日本経済評論社 2003.2 318.2/10018 259-261p -
13 金沢商工会議所七十年史 牧/久雄∥編 金沢商工会議所七十年史編纂委員会 1960 K671/9 40-43.p -
14 石川における「偉大なる盲人たち」の研究 石川県立盲学校 1988.1 K369.2/1097 318-370p -
15 ドゥブン 通巻21号「〝北陸児童新誌〟と上森捨次郎氏について」 石川県児童文化協会 1965 国会図書館デジタルコレクション
- キーワード
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- 上森捨次郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000184669