レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/08/01
- 登録日時
- 2015/10/09 00:30
- 更新日時
- 2015/10/09 00:30
- 管理番号
- 滋2015-0023
- 質問
-
解決
元禄年間のある史料に「江州飛騨村薩摩屋七左衛門」との記述がみられる。この飛騨(肥田)村薩摩屋について知りたい。
- 回答
-
『肥田町史』の「第一章史料でたどる肥田の歴史」の「五、近・現代(主として明治以降)の4、肥田の商工業 エ 江戸時代にさかのぼると」に「(前略)薩摩七左衛門家(現幸男家)である。同家の過去帳によると、二代目七左衛門がまだ若い時分(二十歳)、十八歳の八郎兵衛と、ちょうど大阪夏の陣がおこなわれていたころ(一六一五年)、米や油を売買していたという。また同家七代目の七左衛門は、享保の時代、将軍吉宗のころであるが、津軽の国(現青森県黒石市)に滞在していたのか(そしてそこで亡くなったのか)同地の法眼寺という寺に、弟と思われる男性との二基の墓がある。作り酒屋を営んでいたと言い伝えられている。」とあります。
また、「四、肥田の昔ばなし」に「4、七左衛門さんの榎(えのき)〔出典〕仏教百話(山海里)より」という章があり、「(鬼神木を切らぬ事)東海道線稲枝駅から東へ二粁足らずに愛知郡稲枝村大字肥田がある。此処の薩摩七左衛門さん(代々七左衛門を襲名)の屋敷がある。」という書き出しの宗教民話が収録されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
-
- 1 肥田町史 肥田町自治会∥編集 肥田町自治会 1995年 S-2151- 95 p.181,332-335
- キーワード
-
- 薩摩屋七左衛門
- 肥田
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000182247