レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/03/27
- 登録日時
- 2015/03/28 00:30
- 更新日時
- 2015/03/28 00:30
- 管理番号
- 1000000822
- 質問
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解決
琉球の船に描かれた目玉模様の意味と由来について知りたい。
- 回答
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琉球の船に描かれた目玉模様の意味と由来には諸説ある。
以下の資料①~⑨を紹介した。
①
『月刊しにか Vol.10No.9』(大修館書店、1999.8)
p30-31 「進貢船 高良倉吉」で、p31 「進貢船=貿易船の船首には例外なしに鋭い目が描かれている。それは、琉球人が「すら所」から巣立ちした船をワシやタカ、ハヤブサなどの猛禽類のイメージでとらえていたためである。」の記述がある。
②
『中琉歴史関係國際学術會議論文集 第1屆』([中琉文化経済協会 編]、聯合報文化基金会議國学文獻館、1988(中華民国77).5)
p539-550 「古琉球における海事思想の状況 特にスラ所とトミについて 高良倉吉」の論文で、p540 「…『おもろそうし』には、スラに関連する言葉として「すで」があり、鳥の卵が孵化すること、転じて新しい命の誕生を意味した。つまり、スラ所とは、鳥が卵を巣の中で温め、やがて卵が孵化し、雛が成長して巣を飛び立っていく一連の営みに由来し、そのような営みを人間が代行して船を海に送るイメージと重ね合わせたところの言葉である。スラ所とは、船が生まれ飛び立っていく巣のようなものである、と古琉球の人々は考えたのであった。そのことを裏書するように、琉球では船を鳥にたとえる思想が存在した。大型船舶は猛禽類、とくに隼や鷲にたとえられている…」の記述がある。
p541-542 「…近世期の絵図の中に、船の船首に鳥の目と思われる文様を描く事例のあることも参考になる。このように、琉球人にとって船は鳥のイメージで捉えられていた。造船所を意味するスラ所は鳥の巣、巣を飛び立って海を帆走する船そのものも鳥であった。」の記述がある。
③
『琉球大学法文学部紀要 国文学論集 第23号』(琉球大学法文学部 編・刊、1979.1)
p27-52 「おもろの船三題 池宮正治」の論文で、p44 「山原船や馬艦船の舳には左右に大きな目があった。行先をにらみすえて、真直ぐに航行しようとしたのであろう。ともあれあの目は、鳥の目であった。しかも船は鳥であった。それも鷲や「はやぶさ」であった。船の舳の左右に目を入れるのは、沖縄だけではなく、中国や東南アジアの国々にも見られる。」の記述がある。
④
『琉中歴史関係国際学術会議論文集 第四回』(琉球中国関係国際学術会議 編・刊、1993.3)
p281-294 「『おもろそうし』における船の民俗と表現 池宮正治」の論文で、p281-282 「『おもろそうし』では、船は鳥とイメージされている。…船が鳥として、実際の鳥と競うようにして疾飛することを期待しているのである。」の記述がある。
p290 「…唐船の前方両舷には大きな目が描かれている。…船によってはこの所に、極彩色の鳥が描かれている。…この鳥は羽を広げ右を向いており、鷲か鷹のように見える。…琉球に広く見られるこうした日輪鳳凰文から、これを鳳凰と考えることもできる。…しかしおもろに「鷲が舞やい富」とあったことを想えば、これを鷲としても「はやぶさ」や同種の猛禽類の鳥類としてもよさそうである。」の記述がある。
⑤
『江戸時代の日中秘話』(大庭 脩 著、東方書店、1980.5)
p212 第1図(唐船之図)の目玉模様について、「龍目」の記述がある。
⑥
『国立歴史民俗博物館研究報告 第174集』(人間文化研究機構国立歴史民俗博物館、2012.3)
p119-132 「琉球弧における船と樹霊信仰 松尾恒一」の論文で、p128 台湾の龍船について、「船の前方の両側面に嵌め込まれる眼-この目は「龍眼」と称されており、船体を龍と認識しているようである-…」の記述がある。
p130 「(21)沖縄地域の龍船は、…中国より伝来した当初は、龍頭がつけられていたものとみられる。しかしながら、現在の沖縄本島・八重山地域のハーリー船の多くは、龍頭はつけられず…特にハーリー船には前方両側に目が描かれる例が多い。」の記述がある。
⑦
『日本民俗文化大系 5』(小学館、1983.10)
p394-420 「二 船霊とエビス野口武徳」で、p418 「媽祖と山原船 …船首には海の悪魔を射すくめると信じられている眼がついている。中国の船の影響は沖縄の山原船にもみられ、船首の両側に眼がつけられている。」の記述がある。
p435-489 「第七章 南西諸島の海人 下野敏見」で、p471 「…南西諸島の船は、船霊やウナリガミのような宗教的な守護神でなくても、もっと視覚的で直接的な守護方法も講ずる。それは、沖縄のハーリー舟などに見られる舟の眼玉であり、…」の記述がある。
⑧
『船の科学 1985年5月号 第38巻 第5号 (No.439)』(船舶技術協会、1985.5)
p72-76 「山原船について(上) 浜村建治」の論文で、p74-75 「5.唐船の目玉 …「唐船之図」に出てくる船は南京船を除いて、すべて船首玄側に目玉が画いてある。この目玉模様は、エジプトやギリシャ・ローマ時代にも画かれていたもので、船を誤った航路に誘う悪魔を睨みつけるという信仰によったものであるようだ。この目玉模様が中国のジャンクには近年も必ず画かれていたし、山原船にもこれが残っていて、和船にはないジャンクとのつながりを示している。」の記述がある。
⑨
『定本 柳田國男集 第1巻』(柳田 國男 著、筑摩書房、1969.5)
p255-257 「一四 山原船」の項目で、p256-257 「昔の船の安全は半ば之を神の力に托して居た。…今の山原の船にはちゃんと眼球が描いてある。瞳を梢々片脇へ寄せて、支那の船よりも一層眼球らしいが、如何なる理由でか之を艫の方に附けて居る。しかも害敵を防ぐ術としては、此だけでも十分であった。」の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 月刊しにか Vol.10No.9 大修館書店 1999.8 K302/SH62/114 p30-31
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2 中琉歴史関係國際学術會議論文集 第1屆 [中琉文化経済協会]∥編 聯合報文化基金会議國学文獻館 1988(中華民国77).5 K200.4/C67/1 p539-550 -
3 琉球大学法文学部紀要 国文学論集 第23号 琉球大学法文学部 琉球大学法文学部 1979.1 K377/R98/23 p27-52 -
4 琉中歴史関係国際学術会議論文集 第四回 琉球中国関係国際学術会議∥編 琉球中国関係国際学術会議 1993.3 K200.4/C67/4 p281-282,289-292 -
5 江戸時代の日中秘話 大庭 脩∥著 東方書店 1980.5 210.5/O11 p212 -
6 国立歴史民俗博物館研究報告 第174集 <共同研究>兆・応・禁・呪の民俗誌 人間文化研究機構国立歴史民俗博物館 2012.3 210.069/KO49/174 p119-132 -
7 日本民俗文化大系 5 山民と海人 小学館 1983.10 382.1/N77/5 p394-420,435-489 -
8 船の科学 1985年5月号 第38巻 第5号 (No.439) 船舶技術協会 船舶技術協会 1985.5 K55/F89/1 p72-76 -
9 定本 柳田國男集 第1巻 柳田 國男∥著 筑摩書房 1969.5 K38/Y53 p255-257 -
1 史料編集室紀要 第26号 沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室∥編 沖縄県教育委員会 2001.3 K200.5/O52/26 -
2 歴代宝案研究 第6・7合併号 沖縄県立図書館史料編集室∥編 沖縄県立図書館 1996.3 K200.5/O52/6・7 -
3 長崎総合科学大学紀要 第33巻 長崎総合科学大学紀要刊行委員会 1993.1 K204/N22/33 -
4 図説 琉球王国 高良 倉吉 田名 真之 河出書房新社 1993.2 K201/TA51 -
5 『おもろさうし』と琉球文学 島村 幸一∥著 笠間書院 2010.3 K912/SH39 -
6 南島の風土と歴史 上原 兼善[ほか]∥著 大城 立裕∥著 山川出版社 1978.4 K29/U36
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000169986